一人の人の人権

一人の女性社員さんが、中居氏によって性的な被害を受けた。そのことで、今フジテレビという一流の大企業が風前の灯になっている。
昔、「一人の命は地球よりも重い」という言葉がよく聞かれた時期があったが、当時全然本気度を感じなかった。
それが、ようやく一人の人の人権が、大企業一つと「等価」に近づいているように思えた。
一人の女性の人権を無視したやり方に批判が集まり、権力者たちがしどろもどろになって、見苦しい言い訳をしているように見えた。まるで「公開処刑」のようだった。でも、そうなっているのは、会社風土が「恐怖政治」状態だからなのではと思う。

「性的な接待」を強制する組織とはどのような組織なのだろうか。自分の会社の女子社員に、「会社の利益のために、人身御供になってくれ」と言うのは、「お願い」なのだろうか。それとも、「命令」なのだろうか。それとも、「無言の圧力」なのだろうか。

第二次世界大戦の時に、「特攻隊員」になった人は「志願」したことになっている。「きけわだつみのこえ」を読んだ時に悲しくて涙が出た。私の伯父や父たちの同世代の人たちだった。「天皇陛下のために」「お国のために」と言われて、「志願」し、「自己選択」させられた。こうした「風土」「雰囲気」を醸成し、「自ら選んだのだから」とするのは、カルトの手法、「マインドコントロール」と同じだろう。
「空気が読めないヤツ」というのは、「志願して特攻隊員になれ!」と言っているのと同じことだ。
日枝相談役が、「会社風土の遠因」であるなら、日本の歴史こそが、「遠因の遠因」なのだろう。

「一人の女性の命はフジテレビよりも重い」と言えるといいと思うし、何よりもその方が癒されますように心からお祈りいたします。

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