
明日くらいから、関東はまた寒くなるというのを聞いて、「霜柱」のことを想い出した。
駒込にある神学校の庭の掃除当番の朝、コンクリートの道の横の地面が盛り上がっているように見えて、目の錯覚かと思った。でも、どう見ても地面が盛り上がっていて、高いところでは30cmはあるように見え、全体的に凸凹の山脈のように見えて、目を疑った。
恐る恐るほうきの先でつついてみると、簡単につぶれて、中にガラス細工のようなきれいな透明な線が何百本もあるように見えた。
その時、頭に「霜柱?」という言葉が思い浮かんだ。国語の教科書か何かで読んだことのある言葉が浮かんだ。
それで、脚で踏んでみると、「パキパキ」と音がした。急に心の中で何かがはじけて、その辺りを歩き回った。パキパキ、バキバキと、気持ちのいい音が楽しかった。
気が付くと、掃除の時間が当に終わっていた。
広島出身の私は霜柱を見たことがなかった。
今京都にいて、百人一首や源氏物語のような世界がある。国語の古典の世界が身近にある。
でも、たぶん、それを子どもの時に習ったから、気になるのであって、知らなければそれほどには感動しないかも知れない。そもそも、そうしたものに心を惹かれるのは、昔の人たちの感じた美意識のようなものを教えてもらったからだろうし、教えてもらっても、共感できなければ、それも無意味なことなのだろう。
でも、霜柱を踏んだ楽しさは、子どもの頃の教育と、三十過ぎても面白いと思えた幼さのなせる業かも知れないけれど、とても新鮮でうれしい経験だった。
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