懐かしく思う


 学生の頃、「士は己を知る者の為に死すとも可なり」という言葉を知った。元は「士は己を知る者の為に死す」までみたいだし、「おんなおのれよろこものためかたちづくる」で意味は、「女は自分を愛してくれる男のために、いっそう美しくなろうとする」と対句になっているらしい。
 「可なり」は、どこかで後付けされたものみたいだ。
 「認められる」ということが、人の心をどんなに大きく動かすものかを意味している。
 学生時代、自己評価が低かった私にとっては、とても心に響く言葉だった。
 そんな大学二年生の時に、人間国宝(当時はまだだったが)の太田儔先生に出会った。私は、彫刻を専門にして卒業制作をしようと決めていたし、担当の先生とも話がついていた。
 ある日、その担当の先生から「お前は取らない。太田先生のところへ行って、漆芸で卒業すればいい。最近、太田先生と仲良くしているみたいだから…」と言われ、あっさりと捨てられた。
 太田先生は、私に何度も「東くんなら、人間国宝になれるから、漆芸をしよう。『うるし』はいいよ」と声をかけられていたが、辛気臭い漆芸をする気にはなれなかった。が、彫刻の担当の先生に追い出されたので、行き場がなくなって、仕方なく、太田先生の下を訪ね、事情を話すと、「そりゃあ、ひでぇ。ぜひ、うちへおいで、うるしはいいよ。東くんなら、人間国宝にだってなれるよ。今日からはボクの弟子だ」と言われた。
 そこまで、高くかってくれているのならと思い、漆芸を専門にすることにした。この「高くかってくれている」というのは、本当にほぼその状態だった。半年くらいした時に、彫刻の先生と話す機会があったので、「どうして、私を取ってくれなかったのですか」と聞いたら、机の一番したの引出を開けると、何かを取り出して、私に見せてくれた。びっくりした。それは、まごうことなき太田先生の作品だった。八センチ角くらいの香盒だった。表に太田先生のキンマの技法で彫られた殿様バッタが描かれていた。当時の値段でも、四十万円はするだろうし、今なら値段は跳ね上がって百万円はするだろうと思う。私はその香盒と交換されたのだった。
 私はそれを聞いて、イヤな思いよりもむしろ、うれしかった。そこまでして私を認めてくださり、私を弟子にと求めてもらえたことが、うれしかった。
 今、私は牧師をしている。それは、神の子イエス様が、自分の命を賭して、私を愛してくださったことを知っているからだ。それほどの価値を私の中に認めてくださったからだ。
 (上記の作品は参考作品です。)

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