「24」は「死に番」

 外を歩いていたら、駐車場があった。めまいがしたので休んでいて、ふと顔をあげたら「24」番が無いことに気が付いた。
 やはり、「24」は不吉なのでしょうか。
 実際にこういう場面に出くわすと、少し衝撃を受ける。以前にも書いた通り私の誕生日は「4月24日」で、「424」でまさに「死に番」です。子どもの頃から、不吉とか、不幸とか、長生きができないとか色々と言われた。いっそのこと「4月24日」か「4月」そのものを無くしてほしいと思ったこともある。
 教会に来て、「4月13日の金曜日」や「13」を不吉だという人たちに会ってうんざりした。アメリカ人の人が多かったが、かなり真剣に怖がっているのを見て、「この人たちは本当にクリスチャンなのか」と思ったが、「クリスチャンだからこそ」という話まで聞かさせられた時は、ガッカリした。聖書をちゃんと読んで、ちゃんと理解した方がいいと思う。
 キリストが十字架に架ったことによって、私たちは祝福されたのであって、キリストの死は私たちには「祝福」なのである。それを「不吉」と言っているのは、全然神も神のご計画もわかってはいない。まして、その日を怖がるのも悪魔を喜ばせるだけだ。この日に悪魔は完全なる敗北を喫したのである。
 「13日の金曜日」というものがあるとしたら、それはキリストの大勝利の日であり、心から感謝を込めて、厳かに祝うべき時である。英雄が自らの命と引き換えに私たちを救ってくださったのだ。なぜ、それを不吉だと言うのか。

 4月15日に「ジャッキー・ロビンソン・デー」というのをMBAでやっていた。選手全員が「42」番を着けていて驚いたが、アメリカでは「42」は「死に番」ではないようだ。
 英語圏の牧師が結婚式で忌み語を言うとしたら、「She(死)は、死合わせdeath(デス)ね。」くらいでしょうか。手を合わせて、「しわとしわを合わせて幸せ」というよりも、四本指と四本指を合わせて、「死と死を合わせて『死合わせ』です(death)」となりませんか。そう考えると「しあわせ」という言葉も「手を合わせる」ということもできなくなります。
 結婚式のアルバイトをしていた時に「『忌み語』を言うな」と注意された。教会の話は「キリストの十字架の死と復活」が中心なので、「死」は切り離せない。
 そう言えば、「仏滅婚」というのもあった。式場の人たちにはいい迷惑みたいだった。
 「言霊」だとか言って何やら意味づけしているようだけれど、人を怖がらせて権威付けするのは、霊感商法と変わらない。
 「言霊」の一番の元はキリストそのものである。イエス・キリストこそ、「言葉の神(言葉は神であった)」であるとヨハネの福音書の冒頭にある。
 魔術の「詠唱」もこのあたりから来ているのだろう。悪魔は神のマネばかりする。
 「聖書の御言葉」とそれを信じる「神の子=クリスチャン(=聖霊様の助け)」の存在によって、奇蹟の祝福は顕現する。ハレルヤ!

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