
【新改訳2017】第一列王記
19:10 エリヤは答えた。「私は万軍の神、【主】に熱心に仕えました。しかし、イスラエルの子らはあなたとの契約を捨て、あなたの祭壇を壊し、あなたの預言者たちを剣で殺しました。ただ私だけが残りましたが、彼らは私のいのちを取ろうと狙っています。」
預言者エリヤは最も尊敬する人の中の一人です。
基本的にキリスト教では、「輪廻転生」は認めていません。でも、たった一人だけこのエリヤだけが洗礼者ヨハネとして生まれ変わっているのです。エリヤの霊をもって生まれ、主の道を整えるためにイエス様よりも半年早く生まれ、人々に神の道を説いたのです。
ヨハネ自身は自分がエリヤの生まれ変わりだという自覚は無かったようですが、イエス様はヨハネは「来るべきエリヤである」と明言しているのです。
そのエリヤは第一列王記の17章で突然現れるのです。そして、王であるアハブとその妻イゼベルと戦うのです。そして、勝利をしたと思った時にイゼベルによって殺されようとして、絶望して、モーセが十戒を授けられたホレブという山まで逃げ、洞穴に隠れるのです。
その時に絶望し、失意のどん底で、茫然自失しているエリヤに御使いが話しかけたのに対して応えた言葉が上掲のものです。
彼は必至で神様のために働き、真実を告げ、正義へと人々を導こうとしたのですが、認められることもなく、却って殺されそうになるのです。まさに絶望していると言える状態です。彼はこの前に「主よ、もう十分です。私のいのちを取ってください。」と言っているのです。
皆様は絶望したことがありますか。もう本当に生きていたくないと思えるほどに失望したことがありますか。まじめに働き、少しでもよくなるように、役に立つようにと、必死で頑張って来たことが認められず、却って非難されたり、悪く言われたりして、自分の存在を見失ってしまったことがありますか。
エリヤはまさにそのような状態です。しかも、神様のために、神様に言われたように頑張って来たのに、彼の敵の方が強く、殺されようとして、もう逃げ出すしかなかったのです。
まさに『絶望』です。
マルチン・ルターが宗教改革をした時に神に導かれた御言葉が「義人は信仰によって生きる」であったと聞いています。全世界がカトリックという絶対的な権威の中にあり、絶対善であり、絶対的正義であった中で生きて来たルターはその間違いに気づくのです。
全世界を敵にしても闘わなければならない理由があったのです。まさにエリヤのように。
皆様も正しく生きたい、人の幸せを求め、夫婦や家族や友人たちと幸せに生きたい、会社のために、社会のために役に立ちたいと必死で頑張って生きて来た結果、人々に嫌われ、疎まれ、仲間はずれにされ、独りぼっちにされるということもあると思います。
日本人の多くの方はそんな純朴で、真面目な方が多いと思います。それなのに誰にも理解されず、むしろ嫌われ、イヤがられ、イジメられたり、酷い目に遭わされたりすることもあると思います。
何が正しくて、何が間違っていたのかと思うでしょう。もう何もかもイヤなってしまうと思います。
そんな人のためにいてくれるのが、イエス様というお方です。この方だけが、本当のあなたを知っていて、認めてくれ、愛してくださるのです。
エリヤもルターもこの方に出逢ったのです。
クリスマスの時に語られる「インマヌエル」という言葉は、「神が私たちとともにおられる」という意味です。私たちは、立ち止まって振り返ることができれば、この神様が傍にいてくださったことに気が付くことができるはずです。
「義人は信仰によって生きる」というのは、もう頑張ることのできないあなたに、「そのように生きろ」と言っているのではなく、「そのように生きて来ましたよね。わたしは知っていますよ。」というイエス様からのねぎらいの言葉だと思います。


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