『克己』とは「おのれにかつ。 私欲を抑える。」ということだそうだ。でも、この「のだめ」のシーンでは、「私欲を抑えられず動揺して『ジャンに負けた』」というのが、正しく思える。そもそも「コンクールに出たい」とか「試合に勝ちたい」ということが、「私欲」そのものではないのだろうか。「おのれにかって、試合に負けた」としたら、一体何を言っているのかわからない。
子どもの頃から、「克己」とは、ナルシストの言い訳だと思っていた。単に、「相手に負けた」ことを認めたくないからとしか思えなかった。千秋さんはナルシストだと、のだめに言われていたと思いますが。
それよりは、最近のスポーツ選手のように、試合に負けて悔し泣きをしている方がとても好感が持てる。
「おのれにかつ」というのだから、試合相手は「自分自身」だろう。自分だけを見つめて、何がしたいのだろうか。それよりは、相手をよく見て戦うべきだ。まるで、独りよがりの試合をして、「独り相撲」を取っているようだ。試合とは、「克己」できずに動揺してしまうことで負けても、負けたのは自分にではなく、相手選手にである。相手と戦うことで、自分の弱点を見つけて、そこを強くすることが、本当の克己ではないだろうか。
潔く、負けを認める方が美しい。それこそ、『大和魂』だと思う。
負けを認めることで、次へ歩み出すことができると思う
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