
宇宙人が「機械生命体」を送り込み人類を滅ぼそうとする。それに対抗して、アンドロイドを造った。しかし、機械生命体により宇宙人は滅ぼされ、人類も絶滅させられる。生き残ったのは、機械生命体とアンドロイドだった。しかし、機械生命体は人類に興味を持ち、人類を学び、人類のようになろうとして、人類そっくりの機械生命体を誕生させるが、それはアンドロイドとほぼ同じ存在である。
アンドロイドは機械生命体を絶滅させることを目的としていたが、それは、人類が生存していることの偽装のためだったので、人類が既に絶滅したことで、アンドロイドの存在意義が失われ、アンドロイドも滅ぼされることになる。その計画を担っていたネットワークというおそらく人工知能がやがて意志を持ち、すべてを滅ぼして、宇宙へ新生命体として旅立とうした。そうした中、アンドロイドの支援のための機械ユニットが、アンドロイドに随行する中で、自分の意志や感情持つことになり、アンドロイドの補完をし、回復させることを望むようになる。その時、機械ユニットが語った言葉が、「ねがいはいのりとなり、いのりは力となる」という言葉だった。
「機械が意志を持つのか?」とか、「アンドロイドが感情を持てるのか?」とか、子どもの頃からSFの中で、繰り返しテーマとされて来たもののようにも思えた。
「自我とは何か?」「意志とは何か?」とか、「人間とは何か?」等などの、哲学的な命題や、キリスト教の神学的な「『神の息が吹き込まれて人は神の形に、生きるものとなった』とは、どういうことか。」というようなことまで、考えさせられた。
そして、説明が長くなるので割愛して、このアニメを見て感じた一つの結論として、「人間性の最も素晴らしいことの一つは、『人の幸せをねがって、いのること』である」と、思った。
人間には、すぐに限界があり、他の高等動物の中でも、弱い個体だろう。できないことや無理なことや、手の届かないものの方があまりにも多すぎる。そんな私たち人間が、限界を超えていきたいと思う時に、手の届かない何かを求める時に、私たちにできること、そして、それが自分のためでなく、誰かのためである時に、できることは、「ねがい、いのる」ことなのだろう。その思いこそが、人間が持つことのできる最も尊い心のあり方の一つなのだと思った。
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