
前回書いたように、携挙の夢を見た。その夢はとてもリアルで、まだ火が燃えているところもあり、死体があちこちに転がっていて、焦げ臭い匂いまでしていた。上掲の原爆の白黒写真のようではなく、カラーの動画だった。
あれから、五十年以上経つが、私の中には鮮明な映像として残っている。だから、夢だったとは思えないが、父と兄の部分だけが、合成だったように思う。
そのために、私の人生は大きく変わった。そして、今もその夢に捕らわれていて、やがて来る近未来であると信じている。
映画で見る「アルマゲドン」とかのような、隕石の落下とは思えない。ターミネーターのような核戦争の痕のような感じに思える。ただ、コンピューターの暴走ではなく、人の愚かな悪意による世紀末だったように感じる。それは、遠い未来ではない。私は自分が生きているうちに起こるのではないかという不安をずうっと抱えて生きている。
高校の歴史の中で、平安時代に「末法の世」が来て、世界は滅ぶ。その時、弥勒菩薩が現れて、人々を救うという話が流れ、人々は恐怖したというようなことを習った。が、末法の世は来なかった。
しかし、私は世紀末は必ず訪れると信じている。それもそう遠くない未来に。
一度教会を離れたが、その後再びクリスチャンになった。そして、黙示録や聖書の終末に関わる箇所などを読んだ。その説明が私の見た夢とぴったりと重なる。聖書は何度も世の終わりについての記述があり、黙示録も聖書の最後の箇所である。
聖書に、世紀末、終末、世の終わり、世界の滅びが書かれてあるのは、当然そこからの「救い」が書かれてあるからである。
聖書の示す滅びからの救いは、聖書にしか答えはない。



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