それでも、主イエス・キリストを信じますか?

 今日からアドベント(降誕節)を迎えます。クリスマスの前の四週間を指します。そして、クリスマス・イブ、クリスマスとなります。
 クリスマスとは、イエス様の誕生日です。
 でも、皆さんもご存知のように、クリスマスをイエス様の誕生日として、お祝いするという雰囲気は街中からはほとんど消えてしまっています。ネットで「クリスマス」と検索すると出て来るのは、サンタクロースやトナカイ、クリスマスツリーやクリスマス飾り等々でしょう。
 私も学生の頃はクリスマスは「恋人と過ごす日」くらいにしか思っていませんでした。広島の全日空ホテルで彼女と過ごしたいと思っていましたが、結局その夢は叶いませんでした。

 日本人にとっては、そもそもユダヤ人の子どもを「キリスト=メシア=救い主=王=主=神」として信じるというのは、それだけでかなりハードルの高いものだと思います。日本の伝統や文化とも相容れないものでしょう。これは各国でも同じです。
 でも、このことは当時のユダヤ人でさえ簡単に受け入れられるものではなかったことを聖書は記している。キリストは、ローマの総督のポンテオ・ピラトと、ユダヤの王であったヘロデと、ユダヤ教の最高権力者、最高法院の祭司長カヤパと長老たち、そして民衆たちによって、十字架刑に処せられることになり、弟子たちも全員逃げ出したような状態だった。
 結果的にキリストが十字架かけられたのは、ユダヤ人が「イエスをキリスト=メシア」として信じられなかったからである。
 弟子たちはその後返って来て、聖霊に導かれて、教会を建てあげて行くが、この時は全員がつまずいたと言える。

 これは、クリスチャンになったとしてもその信仰を持ち続けるのは難しいこと意味しているとも言える。信仰を持ち続けるには様々な困難や葛藤があり、悩み続けなければならないことも多い。
 信仰を持つ前には、「外国の神を信じるのか?」とか「神が人となって生まれて来たのか?」とか色々。信仰を持ってからは、「どうして信じているのに?」とか「なんで神様がいるのに?」とか「洗礼を受けたのに?」かとの悩みや葛藤が続く。
 そして、その度に問われるのが、「それでも、信じますか?」ということである。この問いは、聖書全体を通しての質問であり、クリスチャンになる時にも、クリスチャンになってからも、何度も問われる問いである。
 その問いに「はい、信じます」と答える度に、信仰が深まっていくのだと思う。
 クリスマスのこの時、「あなたは、『赤ちゃんのイエスさまを神の御子、キリスト、主』として信じますか?」と問われているのだろう。
 あなたは何て、答えますか?
 

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