
初めて『異言』について知ったのは、宇部の教会で、村上密先生の勉強会の中でのことだった。その時の一番の感想は「ダマされた」というものだった。それは、村上先生にダマされたのではなく、これまで行った教会にダマされた、ということだった。私はそれまでにも教会に行ったことがあるし、キリスト教の話はそれなりに知っていたが、『異言』のことは一度も聞いたことがなかった。
ある教団では聖霊に満たされると「主の御名があふれてくる」というものがあった。実際に私もこの体験をしたことがあったが、この教えは聖書にはない。その教団での独自の教えだった。
聖書にははっきりと『異言』という言葉が書かれてあった。それを知った時が大体10月頃だったので、私が実際に『異言』を話せるようになったのは、翌年の2月11日25時頃、建国記念日だったので、四か月くらいかかった。
最初は疑心暗鬼でとてもウソっぽく感じたし、実際にどんな言葉が出て来るのかわからなかったので、苦手な英語でも話せるようになればいいなぁと思っていた。
建国記念日に何人か教会を訪ねて来る人がいて、その人たちとおしゃべりをして楽しい時間を持った。それで、気持ちも高まっていたのだと思うけれど、布団に入っても寝付けなかった。その時に口の中で、舌が勝手に動いていることに気が付いた。それで、息を出すとヘロヘロと舌が動く、所謂「無声音」というものなのだろうと思い、音を出して「有声音」にしてみると、「ことば」のように思えた。それで、しばらくしゃべるようにすると、明らかに自分の思いの言葉ではない言葉が口から出ていることに気が付いた。「これは『異言』なのでは…」と思った。寝てしまうとなくなってしまうと思い朝までしゃべり続けた。私は教会に宿泊させて頂いていた。そして、早天祈祷会の時間までしゃべり続けて、起き上がって、祈祷会の場所まで行き、座って待っていた村上先生の顔に向かって、いきなりしゃべりかけた。
村上先生はびっくりして目を大きく見開いて私を見た。
「先生、これって『異言』ですか?」
「あ、うん、異言だね。おめでとう。」
そう言われて、うれしくなり、祈祷会ではずうっと異言で祈り続けた。祈祷会が終わってもうれしくて、外に出て宇部の街を散歩しながら、夕方まで祈り続けた。その間に色々な異言が出て来るようになった。
夕方、村上先生のお宅で夕食を頂いていた時に、村上先生が、
「東君、今日は無口だね。」
と、言われ、
「『異言』を話し過ぎて口が重いです。」
と、言うと、笑われた。
次の日の早天祈祷会も異言で祈り続けたら、終わってから、
「東君は、もう僕よりもたくさんの異言を話せるようになっているね。」
と、言われた。
【新改訳2017】Ⅰコリント
14:18 私は、あなたがたのだれよりも多くの異言で語っていることを、神に感謝しています。
パウロも自慢しているけれども、私も自慢できると思っています。えっへん!



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