
『オオカミ少年』と言えば『ケン』だった。でも少しすると『オオカミ少年』は『嘘つき』になった。それが、大学に入ると『オオカミ少年』は『オオカミ少女』になった。
教育学部で習った『オオカミ少女』は、「オオカミに育てられ、オオカミになった」という最も衝撃的な内容だった。それは、『オオカミ少年ケン』もオオカミに育てられたが、「オオカミのようにはなった」がオオカミではなかった。
しかし、大学で習ったオオカミ少女アマラとカマラはオオカミになっていた。
現在では、ウソ話となっているようだけれど、当時は「実話」として、語られていた。それは人間の可能性・可塑性を表すものだった。
実際に人間はどのくらいの可塑性や可能性を持っているのだろうか。オオカミに育てられたら、オオカミになれるのだろうか。だとしたら、天才に育てられたら天才になれるのだろうか。或いは、宇宙人に育てられたら宇宙人になれるのだろうか。
確かに、アメリカ人に育てられたら、アメリカ人のようだろうし、中国人に育てられたら中国人のようになるのだろう。
言葉を教えられなかったら、言葉は話せないのだろう。以前にスタートレックというSFに出て来る架空の宇宙人「クリンゴン人」の言葉を英語の代わりに教えた親がいたと噂で聞いた。その子は見事にクリンゴン人の言葉を話せたが、英語は話せなかったらしい。何とひどい話だろうと思った。
言葉が分かれたのは、バベルの塔以降だと聖書にはある。その目的は「人々の意見が一致して、みんなで協力して悪いことをしないようにするため」だと書いてある。
しかし、いいことも一致しないというのは、残念なことだ。
プーチン氏のすることも、トランプさんがすることも、習さんがすることも理解できないのは、母国語が違うからかも知れない。
それにしても日本人同士でもわからない人がいるのは、方言が違うからなのだろうか。
だからこそ、わかり合える人が有難い。わかり合える人が増えると楽しいですね。



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