
「わけ登る麓の道は多けれど同じ高嶺の月を見るかな」という短歌・狂歌を描いたのは一休さんだと聞いた。本当かどうか怪しいらしいが、この短歌はよく「どんな宗教でも、行きつく先は同じだから、どんな宗教でもいいから、信じることが大切だ」みたいなことの例えのように使われる。
でも、「天国」と「高嶺=頂」とは違うだろう。もし、天国が高い山の頂だったら、辿り着ける人は極わずかということになるし、辿り着いたとしても短時間しか滞在はできない。それに、山上りの得意でない人やロッククライミング等ができない人には選べるルートは限られている。
つまり、自力の強い人、能力の高い人しか行くことができない。こんなところが天国なはずがない。
「天国に入れる人はどんな人」と聞かれれば、基本的に「いい人」だと思う。そこには能力も才能も業績も地位なども関係ないだろう。逆にそういうものばかり持っている人ほど「いい人」でないことが多い。人を蹴落とし、罠にかけ、抜け駆けをし、悪口を広めて、相手を潰していたりする。そんな人がどんなに必死になって、自分の道を全力で登ろうとしても、天国に入ることなどできるわけがないし、たとえ天国の門に辿り着けたとしても、そんな人のために門を開けてくれる者はいない。
山を侮り、人を信用しないような人はどの道を進んでも、遭難することになる。そして、折角辿り着いてもそこは「天国」ではない。
それよりは、正しい道を一番に選ぶことが大切だし、できることなら、その道に詳しい人に案内をしてもらうのが、一番よい。
イエス様はご自身のことを
【新改訳2017】
ヨハ 14:6 イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。
とおっしゃっている。
道とは人である。誰に着いて行くかが重要であり、それこそが「誰を信じるか」である。


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