キリスト教の神 聖なる主

【口語訳】イザヤ書
6:2 その上にセラピムが立ち、おのおの六つの翼をもっていた。その二つをもって顔をおおい、二つをもって足をおおい、二つをもって飛びかけり、
6:3 互に呼びかわして言った。「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、万軍の主、その栄光は全地に満つ」。

 キリスト教の神の最大の素晴らしさの一つは「聖」である。一点の曇りもなく、穢れの無い神であることである。
 そして、人間である私たちの「一切の罪・穢れを聖めてくださる」ことである。
 イザヤ書ではセラフィムが三度重ねて「聖なるかな」と言う。聖の極致である。
 旧約聖書で記されているこの聖は、人間の穢れ故に近づくことさえできない。それが、キリストの誕生と十字架と復活と昇天を通して、私たち人間が近づくことのできることになり、「聖」の極致の「聖霊様」が降り、教会とそこにいる人たちを聖め、聖徒とし、神の子として、その一人一人に宿られたのである。
 だから、教会はこの「聖」という言葉が至るところに記され、神の「聖さ」を示している。
 「聖霊」「聖書」「聖日」「聖徒」「聖餐」「聖水」「聖人」「聖女」「聖会」「聖騎士」「聖○○」等々。教会に関わるすべてのものがこの「聖」の文字を冠することになる。

 教会の働きは「聖め」である。すべての「魔を祓い」、すべての「邪を破り」、すべての「穢れを聖める」。この働きは何ものにもかえがたい最強の力である。
 この「聖」を実現したものが、「キリストの血」である。最も尊く、最も聖いものがこの「贖いの血」である。

 だから、クリスチャンは一切の穢れや罪から解放されている。故に、天上の住人となることを許されており、キリストの再臨の時に、天へと引き上げられる。携挙されるのである。
 ハレルヤ! 聖なる主よ! 御名を心からほめたたえます。

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