
小学校で憲法について習った。その時にこの「平等」という言葉がとても素晴らしいものだと思った。フランスでは「自由・平等・博愛」などの理想的な言葉が並ぶ。
それまでの王族・貴族社会から、民主的な国家を目指しての革命を習う。人々はその理想に向かって世界を変えて来た。
明治維新によって、四民平等が謳われた。皇族はその中には入っていない。それでも、それまでの日本の不平等な社会は大きく変わった。更に第二次世界大戦後、現行憲法によって、理想的な平等社会に近づいた。
そして現在、今の社会の中にも平等ではないと思うものもあるが、「平等だけでは何かが違う」とみんなが思い始めているのではないかと思う。
それが「公平」だと思う。
少し前に「親ガチャ」という言葉があった。どんな家に生まれるかによって、人生が大きく左右されるということがみんなに広く理解されるようになった、ということだろう。
貴族社会では「生まれ」はとても重要で、ほぼそれによって人生が決まる。現代は平等社会のはずなのにやはり「生まれ」によって、人生が大きく決まる。
最近のアニメで「転生もの」が多いが、転生先が不思議なほど中世ヨーロッパのような、貴族社会である。そこで新しい人生をやり直し、要は「勝ち組になる」という感じだ。その勝ち組になるためには「生まれ」がとても重要であり、「貴族の家に生まれ、様々な能力を持っている」という感じである。
これが今の人たちの思いであり、憧れなのかと感じる。
それは、「世の中は『平等』かも知れないけれど『公平』ではない!」と叫び声を上げているかのように見える。
「勝ち組」「負け組」という言葉もあったけれど、それらにしても、いい家に生まれ、いい親に育てられ、いい家庭環境の中で十分な機会と支援の受けて成長できる子どもとそうでない人では、その後の人生が大きく変わる。
現代の人々はそれに気が付いたのだと思う。
私たちの世代は「平等」だけで、十分に幸せであると思っていたし、それまでの不平等な社会に対して、平等な社会を勝ち取ろうとして来た。そして、それなりに平等な社会になったように思うけれど、「まだ『公平』ではない」ということに気づいたのだと思う。
本来はこの「平等」の中に「公平」も含められていいと思うけれど、それが大きく乖離して来たように見える。
これからの社会は「平等から公平へ」と向かうべきなのだろう。
聖書には「ラザロと金持ち」の話が出て来る。イエス様はたとえ話をたくさんしているが、この話はたとえ話ではなく、神だけが知りうる実話なのだと思う。それはラザロという固有名詞が使われていることから推量できる。ラザロはたぶんホームレスで、金持ちはただの金持ちだろう。死後ラザロは天国(アブラハムの懐)に行き、金持ちは地獄へ行った。その理由は、ルカ16:25 アブラハムは言った。「子よ、思い出しなさい。おまえは生きている間、良いものを受け、ラザロは生きている間、悪いものを受けた。しかし今は、彼はここで慰められ、おまえは苦しみもだえている。」ということだ。
つまり、神は「公平」で更に「公正」な方である。簡単に言えば、この世の勝ち組の人は死後負け組になり、負け組の人が勝ち組になるということだろう。
何で、いい条件に生まれ、豊かな才能を持ち、世を楽しく幸せに生きたのかは、「たまたま=偶然、神様の気まぐれ?」という生まれが大きい。しかし、死後それがひっくり返ったのは、「本人の生き方」の問題だった。
ラザロはこの金持ちの家の門前にいた。つまり、金持ちはラザロを見て見ぬふりをしていたのである。この「見て見ぬふり」がこの金持ちの「罪」なのだ。
死後に待っているのは「裁き」である。そこで人生のすべてを「清算」することになり、その後「天国と地獄」に分けられる。
これは、「公平」から「公正」へという神様の裁きとなる。
神様は負け組の味方である。勝ち組の人は、どう生きるか考えてほしい。



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