決闘って何だろう?

子どもの頃、『トムとジェリー』が大好きで、よく見ていた。その中で、『女の子』を賭けて決闘するシーンがあったように思う。たぶん、「○○ロードショー」の中にも、そんな映画がいくらもあった。最近では、エマ・ワトソンの『美女と野獣』の中でも、ガストンがベルを手に入れるために、野獣と戦う。
いつも、こうした「女の子を賭けた決闘」というのを見る度に、不快な思いと非論理的に思えてしまう。決闘が野蛮なのもあるかも知れないけれど、一番の問題は、「その子に聞けばいい」という女の子の人格を無視している点だと思う。
例えば、ガストンの場合、ベルが愛している野獣を殺された時に「よくぞ、私の愛している野獣を殺してくださいました。愛する人を失った私はもうあなたしか愛せません」と考えるとは到底思えない。
野獣であろうと不細工な男だろうと、誰を好きになろうとベルの自由であり、ガストンが嫌いなのもベルの自由だ。
ベルが自分以外の男と幸せになるのがイヤだというのは、「ベルを愛している」のではなく、「自分を愛している」ということなのだろう。

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