行く川の流れは絶えずして…

何年ぶりかで、一人で出かけました。どうしてもという用事がありました。出かける前に精神安定剤を飲んでから出ました。折角なので、リハビリを兼ねて、ちょっとその先の宇治へ行きました。今日はとてもいい天気でした。私はこの宇治川の流れを見ているのが好きです。そして、その時いつも頭に浮かぶのが、鴨長明の「方丈記」で、「行く川のながれは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。」です。
これは、仏教の「無常観」を表すものとして、高校の時に学び、それ以来、「川の流れ」を見る度に頭に浮かびます。最初「無常」とは「無情」だと思っていました。いつまで続くことのない(愛の)関係に悲しみと痛みを覚えました。
クリスチャンになった今も「人の世の無常観」は続いています。「この世」は永遠に続くものではありません。だから、私は神を信じています。天国は「永遠に変わらない(=無常)」ではなく、永遠に続き、永遠に変化し続けるものだと信じています。
天国は「極楽浄土」ではありません。極楽浄土へ行けば必ず成仏できるわけではないそうです。推薦入試を受けるようなもので、もっと厳しい試験が課せられます。だから、そこでは成仏するために修行する必要がありますが、天国では修行は必要ありません。必要なのは今「主イエス・キリストを信じていること」です。

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