今朝、ポストに、以下の文章が載った広告が入っていました。盆時期だからなのでしょうか。
子どもの頃から、とても不思議に思っていたことを想い出しました。
「どうして先祖が祟るのか?」「祟るのだったら、イヤなヤツに祟って、助けてほしい」と思ったことを。
自分の子どもや子孫に祟るなど、バカバカしいだけではなく、「オレの親や先祖をそんな『妖怪やバケモノや祟り神』になんぞにするな! 失礼にもほどがある」、と思います。どういう考え方をしたら、こんな親不孝な考えになるのか、不思議です。
親は子の幸せを願い、先祖は子孫の繁栄を祈っていると思っています。
子どもが自分のすることが忙しくて、親を忘れていることなどいくらでもあります。それでも親は忘れることなく、子どもの行く末の幸せを願い、邪魔をしたくはないと思うものだと思います。
そもそも、「成仏できずに、極楽へ行って、死ぬほどツラい修行(そんなに苦しむのなら、極楽ではないのでは…)」をしなければならなくなったのは、当の本人の不徳せいで、子どもや子孫のせいではない。子どもや子孫を苦しめて、死んでまで子どもや子孫に迷惑をかけて、助けを求めようなどという、セコイ心根では、相変わらず輪廻の輪を解脱できず、次は人間にさえ転生できないでしょうね。
親も祖先も、私たちが自分を磨く努力や側にいる生きている人と楽しく過ごす方を願っています。
天国と地上とに分かれて住んでいても、会えないのは淋しいものです。でも、供養しなくても、心の中にはいつもいてくれて、励ましてくれて、支えてくれています。再び天国で会って、顔と顔を合わせて一緒に、永遠の祝福された新しい命に生きることが楽しみです。
親も先祖も決して「祟りません」し、「祟れません」。
親も先祖も心から、私たち子どもや子孫の安寧と幸福と、祝福を願ってくれています。
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