大納言は切腹せず

 天皇誕生日の後に憲法の日が来る。何か、運命的なものを感じる。どうして、昭和天皇は生き残っていたのだろうか。なぜ、戦争責任で処刑されなかったのだろうか。明治憲法には、「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」と明記されていた。戦争の全責任は天皇にあった。

 死ぬ直前の放送で、「今日の『下血』は…」という言葉が頭に残っている。「玉体」ではなかったのか…? 何とも恥ずかしい放送に聞こえた。

 伯父とこの話をしたのは、多分小学四年生の頃だったと思う。伯父に戦争の話を聞くのが好きだった。学校では聞けない話。正義の戦争だと信じて、中国人を二十数名撃ち殺した話等など。勢いよく話してくれていたが、その日は、途中から顔色が変わった。

 「お前は、天皇とアメリカのクソ野郎と一緒に撮った写真を見たことがあるか?」。私はまだ見たことがなかった。「ワシらは、天皇のために戦争をしたんじゃ。天皇は神だから、絶対に戦争に勝つと言われて、戦争したんじゃ。命がけでな。それなのに、戦争が終わってみりゃあ、日本は負けとんのじゃけんのう、ワシらはただの『人殺し』じゃけん。『天皇陛下万歳』って叫んで、ワシの仲間は仰山死んだんじゃけんのう。天皇のために死ねと言われとったんじゃけぇのう。」
 伯父は押し殺したような声で、うめき声のように話した。
 「東条英機や政府の馬鹿どものために戦ったんじゃないわ。天皇のために戦ったんじゃけんのう。それなのに、戦争に負けたら、自分にはなんの責任もないような顔しくさって、マッカーサーとか言うヤツとうれしそうに写真を撮ってくさる。自分は神じゃのうて、ただの『人間』じゃ言うとるけぇのう。バカぬかせ。神じゃ、神じゃいうて、人をだましくさって、『死ぬ』いうとったくせに、戦争負けたら、知らん顔じゃけぇんのう。戦争したのは、首相じゃと、大臣じゃと。バカにするのもいい加減にさらせ。」伯父の怒りで、私は恐怖した。
 「帝国軍人を裏切ったヤツがいるとしたら、卑怯もんがおるとしたら、天皇一人だけじゃ。天皇は何で腹を切らん。乃木大将は見事に腹を切った。死んでいった部下のためにのぅ。」と、吐き捨てるように言って、出て行った。
 私は、今ようやく話せるようになった。戦後八十年経って、ようやく。

 それから十年くらいした頃か、A級戦犯が靖国神社に合祀されたら、天皇はお参りに行かなくなった。彼らも天皇のために死んだのではないのだろうか。まるで、自分には、責任はないかのように。全部彼らが勝手にやったことであるかのように。
 フジテレビの日枝さんには、何も責任がないかのように、この間まで見えていた。これは、日本の歴史と文化なのだろうか。でも、今の時代はもう許されない。

 伯父の言葉が沁みる。伯父は、金鵄勲章をもらった「英雄」から、戦後はただの「人殺し」になっていた。その悔しさは、筆舌に尽くしがたいものだろう。

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