悪魔の囁き

 小6でクリスチャンを辞めた私の心には小さな声のような微かな響きのようなものが生まれた。それは何年もの時間をかけて徐々にはっきりして来た。それは言葉で「殺せ!」というものだった。はっきりとした言葉として理解できたのは高校生の頃で、それまではうっすらとした「思い」だったが、私の行動様式や性格を少しずつ変えて行った。
 中学生になって科学部に入ると、部活での表向きの活動とは別に、「殺人」に使える「毒」や「爆弾」や「細菌」などに興味が湧き、一人で理科室の薬品庫や図書館でそうしたものを調べ続けていた。それに拍車をかけたのが、「三菱本社ビル爆破事件」だった。毎日のように学校の図書館に通い、爆弾の作り方を調べた。確か、爆弾の材料に使われていた除草剤を特定できた。黒色火薬やダイナマイト、TNT火薬など、色々と調べた。当時はこうしたものは、化学の本に普通に載っていた。高校生になって、化学部に入った時には、「綿火薬」を作り、TNT火薬を作ろうとして、先生にバレそうになって、断念した。
 人体の構造も調べ、人間の急所を調べ効果的な殺人の方法を学んだ。「GUN」と「ムー」が愛読書だった。
 さらに、様々な魔法や魔術や呪術などを調べて、黒魔術や占いや、降霊術や霊言なども学び、瞑想法や集中力を高めたりする訓練もした。こちらは、クリスチャンとして、かなり「霊的」であったことが功を奏して、いろんなことができるようになった。
 さらに、テレパシーやサイコキネシスなどの超能力の練習もした。
 これらのものは、一般の人は「無い」と思っているので、特別な力として使っても誰にも文句を言われないので、都合が良かった。
 普通に便利だったのは、テストの時に回答欄に答えが見えるというものだった。勿論すべてが見えるわけではないが、時々都合よく見えた。一番役に立ったのは、私の時から始まった「共通一次」だった。当時の私には神からの助けだと思えた。回答を文字ではなく、塗りつぶすだけで良くなった。回答用紙を非常に高く集中力をもってにらみつけると答えが見えてくる。自分で考えて書いた答えよりもいい時もあった。時間が足りなくて、追い詰められた時に、集中力が高まり、見えたところを塗りつぶしたものが、とてもよく当たっていた。
 しかし、それと同時に不幸な出来事が続いた。父が入退院を繰り返し、挙句の果て、手術ミスで死んだ。母も病気になり、身体が動かなくなっていった。信仰に導いてくれた叔母は再び結核菌が出るようになり、入院となった。
 このバカげた悪魔とのやり取りをやめることができたのは、大学に入り、周りに優しい女の子がいっぱいの研究室での生活が始まったからだった。親切で穏やかな女の子たちが、私のすさんだ心を癒してくれた。学生時代は私の人生の中でも特別に平和で幸せな時だった。彼女たちに心からの感謝を贈りたい。
(この話にはもちろん続きがあります。)

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