旭川女子高校生殺人事件

 なんだか、とても恐ろしい殺人事件のニュースをやっているし、その映像に映し出されている犯人の顔がとても怖い。
 でも、この内容って「いじめ」の延長線上のようにも見えるし、同質なようにも思える。そして、これらは、暴力団ややくざや半ぐれとか、昔の不良グループやレディースとかスケバンとか言われていた人たちの中で日常的に起っていたことのようだし、学校の中の人間関係によく現れてくるようなものでもあり、日本社会のあらゆる面で見受けられるものと同質でエスカレートしたもののように思う。
 相手に何らかの「因縁」をつけて、弱みとして、それをさらに拡大して、奴隷のように言う事を聞かせるというのは、トクリュウのあり様にも似ている。
 人を殺すところまで追いつめて、実際に殺してしまう。何とも怖ろしいことだ。そして、この女子高校生は裸にされ、橋から突き落とされている。女子が女子を裸にするというのは、どういう気持ちなのだろうか。自分のネットの記事を使ったということは「死に値する」という判断なのだろうし、裸にされ動画を撮り、更にいじめは続くということなのだろうか。
「私もリコさんも“死ね”と100回以上言っていた。死ぬしかなかったと思う」という証言をしている。やはり「死に値する」ということのようだ。
 この「弱みに付け込む」というのは、日本中どこにでもあるようだ。そして、これは人を追い詰めるのには格好のやり方のようで、昔の「女子高生コンクリート詰め殺人事件」を思い出させる。
 そして、江別の大学生殺人事件もひど過ぎる。

 同志社国際の女子高生の事故死という弱みに、国は付け込んでいるように見える。同志社はすべての「教育」という権利を失うという、学校としては「死に値する」罪を犯したということなのだろうか。

 それにしても、内田梨瑚被告も小西優花受刑者も、『梨瑚』と『優花』と、とても可愛い名前に思える。今どきの名前ということなのだろうか。こんな可愛く素敵な名前の子がこんなにひどい殺人事件を起こしているというギャップに恐怖する。
 日本は平和な国のように思える。でも、その内側に恐ろしいほどの「殺意」ともとれる「狂気」が潜んでいる。オウム真理教の事件の時にも、世界が震撼するほどの大量殺人事件を起こしている。

 聖書に登場する最初の殺人事件は、兄のカインが弟のアベルを殺すというものだった。神に認められたアベルに『嫉妬』してのことだった。自分のことを『上』だと思っている人間が、『下』だと思うものに対して、嫉妬し、妬(ねた)み、嫉(そね)み、蔑(さげす)み、怒り、狂気のように殺人へと至る。
 私刑(リンチ)は禁止されている。しかし、イジメやこうした事件はこのリンチに思える。そこには公正な法は存在しない。法治国家として、理性ある国として、秩序ある国として、これらのことは許されてはならない。

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