
教会と音楽(賛美)は切っても切れないような関係がある。それで、音楽にまつわることを少しまとめて書いてみようと思います。これまでにも触れて来たかも知れませんが、お付き合い頂ければ幸いです。
宇部の教会を訪ねて、村上密先生ご夫妻にご指導頂いて一か月ほどした頃だったかと思いますが、「東君、教会はどうかなぁ?」と質問された時に、「メッセージはとても面白いし、色んな人がいて楽しいです。」「何か、不満というかイヤなところはありますか?」と聞かれて、「あの『賛美』がなければ最高です。」と答えた。村上先生は驚いた顔をして、「メッセージはあまり良くわからないけど、でも賛美は好きです、という人は多いんだけどなぁ。」と首をかしげていた。
私は音楽は大の苦手で、大嫌いな科目だった。
小学生の低学年の頃だと思うけれど、「和音に合わせて、起立、礼、着席をする」というのをさせられた。確か「ドミソ・ドファラ・シレソ」という「主要三和音」と呼ばれるものだったと思うが、この順番で引いてくれると「起立・礼・着席」と音がわからなくてもできるが、それぞれを別々に弾いて、座っている時の着席は座ったままという感じで、先生が弾いた時に、私は一人だけ起立していたり、一人だけ礼をしていたり、一人だけ座ったままだったり、一人だけ座ってみたりと、周りとはほとんど合っていなかった。つまり、音が聞き分けられない(=音痴)という事実を知ることになった。それはとても恥ずかしく、周りの子たちにはクスクスと笑われる結果になった。その時以来、音楽は大嫌いな授業になった。
ほぼ毎年学芸会があって、その時に合唱をしたり、合奏をしたりしなければならなかったのが本当に苦痛だった。合唱の時はほぼ「口パク」で、合奏の時はトライアングルとか、タンバリンとか音程に関わらない楽器を選んでいた。音程はわからないけれど、タイミングはなんとか誤魔化しながら、小さな音で合わせる努力をした。だから、学芸会(途中から学習発表会に名前が変わったが…)が一年通して最も嫌いな行事であり、音楽が一番嫌いな授業で、高校から選択になった時に救われた思いだった。
ところが、大学へ行き教育学部に進んだお陰で、地獄が待っていた。美術を選んだはずなのに初等科だったので、音楽の授業があった。その上にピアノまで弾かなければならず、もし将来的に音楽の授業をしなければならないとしたら、不幸な子どもたちを増産することになる。絶望にも近い感覚にめまいがした。


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