
大学時代の同級生が「市立伊丹ミュージアム『I’M』」でクラフトフェアをするということで案内を頂きましたので、ご紹介させて頂きます。
いつも可愛い作品を創っています。本人的には「もっと『キモい』もの」を作りたかったそうですが、陶芸教室の窯がこわれて焼けなかったそうです。「不完全燃焼感」があるそうですが、例年のように素敵な作品ができていると思います。
「芸術の秋」ですね。
皆様はどんな秋を今年は送られますか。今朝は大雨が降って驚きましたが、晴れると本当に気持ちのいい天気ですね。この間までの酷暑と災害級大雨がウソのようです。
でも、まだまだ被災された方たちは大変な中にあると思います。神様の助けがありますようにお祈りしています。
それにしても、この市立伊丹ミュージアムは「I’M」というのですね。英語の「I am」になぞらえてあるのでしょうか。「I am」は教会では、聖書の神様の名前です。神様がモーセに自分を現わした時にモーセに名前を聞かれて応えたのが「I am who I am.(『わたしはある』というものである)」でした。
新約聖書でイエス様が自分のことを「エゴ― エイミ(ギリシア語)」で「わたしはある」と言って、このモーセに現れた神であることを示しています。
この「エゴ―」が所謂「エゴ」=「自我」として心理学用語になっています。
私は中学生の時に英語の授業で「英語では自分を現わす言葉は、大文字の『I』です」と教えられて感動しました。日本では、「私、わたし、わたくし、ぼく、うち、おれ、おら、わし、わて…」と無数に自分を現わす言葉があります。相手に合わせて自称を換えなければなりません。これでは「自我」というものは常に不安定なことになります。
日本では「自己主張」は悪です。「滅私奉公」という言葉もあるように、奴隷のように自分を卑下しなければならないような気にさせられます。でも、英語ではそんな必要はありません。
「わたしはわたし」という言葉をよく耳にします。それ程に「自分が何なのか」と悩まなければならないのが、この国だと思います。
「I am who I am.」は「わたしはわたし」ではなく、「わたしはある」つまり、「わたしは存在している」という意味です。人は「神様って本当にいるのかなぁ?」と思っていますが、神様の名前は「いる」という名前であるというのも、面白いと思いませんか。
この創世記の記事を読んで、名前を聞かれて「『わたしはいる』というものだ」と応える方こそ本物の神様だと「私」は、思いました。


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