
【新改訳2017】詩篇119:71
苦しみにあったことは私にとって幸せでした。それにより私はあなたのおきてを学びました。
子どもの頃風邪を引くと「PL顆粒」の薬が出た。そして、それは死ぬほど苦くて本当に嫌な薬だった。母が飲んだ後に砂糖をスプーン一杯舐めさせてくれたので、我慢できたのかも知れない。だから、風邪を引くのがイヤだったし、「PL顆粒」は大嫌いだった。(PL学園が出て来た時は嫌がらせかと思った)
そんな時によく言われたのが、「良薬口に苦し」という言葉だった。
動物は苦いものは「毒」と判断して食べないのだと聞いた。その後、中には薬になる草を食べるものもいるとも。どちらが本当なのかと思うけれど、基本的には「苦い=毒」だろうと思う。それを「薬」とか「栄養」と理解して無理にでも飲食するのは、人間としての知性なり理性と呼ばれるものだと思う。
上記の御言葉はクリスチャンの中では有名なもので、みんなこれを自分の戒めや導きとしている方も多いのではないかと思う。
教会を訪ねて来られる方の多くが悩みや苦しみを背負っている場合が多いが、不思議なほど教会に来ると解決する。その後も時々苦しい思いや悩みを抱えることがあるが、そんな時にこの御言葉を思い出す。
ここには「おきて」とあるけれど、おきてだけではなく、「神様そのものを思い出す」ということのようにも思う。
しんどい思いをしたり、苦しい思いをした時に、神頼みをする。それによって神様を思い出す。神様を思い出した時に、「自分は何か悪いことをしたのではないか」と反省をすることも多い。
このことが大切なのだと思う。反省をすれば、やり直すことができる。正しい道筋へと修正することができる。
たぶん、良くないのは「罰が当たった」で終わってしまうことだろう。そこで立ち止まってしまうとそのまま潰れてしまうことになる。その苦い思いを薬に変えてほしい。
それは、知性であり、理性であり、意志であり、思いであり、信仰である。でも、そのためには強い思いが必要になることも多い。その力を神様は与えてくださる。
私も子どもの頃にいじめられてとてもツラい思いをした。大人になっても嫌がらせをよく受けた。その恨みはすべて神様に、主の手にお委ねしてできるだけ忘れて平安に生きる。自分で復讐はしない。
その一方で、そのツラかったことから何かを学ぶ。それは神様の「おきて」なのだと思う。そうして、その苦しみを与えたのも神様だと思って、神様に一頻り悪態をついて、最終的には平安に導いて頂く。
イジワルをしたり、イジメたヤツらの顔を神様の優しさで塗りつぶして、消してしまう。
主の教えは蜜のように甘い!
主は素晴らしい!


コメント