正しすぎてはならない

ソロモン王が書いた「伝道者の書」の7:16に「あなたは正しすぎてはならない」とある。

【新改訳改訂第3版】のマタイの福音書12:10には、「そこに片手のなえた人がいた。そこで彼らはイエスに質問して『安息日にいやすのは正しいことでしょうか』と言った。イエスを訴えるためであった。」とある。質問をしたのはパリサイ人(律法学者と同様)で、安息日には「仕事をしたり、働いていけない」となっていたので、「いやす」という行為は、医者にとっては仕事だろうから、安息日の律法を破っていることになるということで、イエス様を攻撃して来ている、ということです。イエス様はそれに対して、「安息日に良いことをすることは、正しいのです。」と、答えている。

このパリサイ人(律法学者)の考え方が、ソロモンの言う「正しすぎる」にあたるのだろう。それに対してイエス様の言う「正しい」は「普通の正しい」だと思う。
キリスト教界には、「タブー」とか、「してはならない」とか言われているものが、やたらに多いところもある。最近では、かなり少なくなっているようだけれど、それでも教派によっては禁欲的なのが美徳だと考えているところがある。

私は「常識的」がいいと思う。「禁欲」は必要のないものだと思う。「常識」は時代でも、国や地域でも違う。それでも、「普通」がいい。
子どもの頃から、「変わり者」と呼ばれていたためか「普通」にあこがれる。
健康的で、明るく、屈託のない、楽しくて、心豊かな生活を目指すのが一番だと思う。

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