人生の岐路

 今まで生きて来て、『人生の岐路』というものを考えると何度も何度もあったように思う。大きいものも何度かあったと思うけれど、小さいものはとても多いように思うし、微細なものもと考えると無数にあったのだと思う。そして、本当は瞬間瞬間に私たちは『選択』をしているのだろうと思う。今こうしてブログを書きながら、「言葉を選んでいる」。
 「信仰とは何か?」という質問に対する答えはたくさんあると思うけれど、「信仰とは選択である」とも言える。何を選ぶかというのは、その人その人のそれまでの人生の集大成であり、未来に対する『賭け』だろう。「こうなってほしい」「こうなりたい」などの希望をのせて選ぶ時、人は何かを信じてそれを選んでいるのだと思う。自分なのか、伴侶なのか、親なのか…。
 朝、コーヒーか、紅茶か、お茶か、水か、牛乳か、ジュースか…。何を選んでもいい。けれどどれを選んでも、小さな変化が起こる。
 「バタフライ効果」というけれど、日本人らしく「風が吹けば、桶屋が儲かる」でもいいと思う。小さな変化が大きな結果を招くこともある。
 小さなことまで考えていると不安で何もできなくなるかも知れない。
 でも、振り返ると「間違えた選択」というか「間違えて選択」したものがかなり多いように思う。そして、振り返った時に「どうしてそんな選択をしたのだろう」とか「何で気が付かなかったのだろうか」ということがいくつもある。
 今でも時々思い出すのは、それまで「理系」だったのに、奨学金がほしくて「教育学部」を選択した時に、母に質問をした「教育学部って理系? 文系?」。母は少し考えて「『教育』というのだから、文系だろう」と答えた。三年生になってしばらくした時に、化学部の顧問の先生に「どうして、文系に代わったのか?」と聞かれて、母との会話を話すと「理科や数学の先生だっているだろう」と言われて、ハッとした。
 それでも、無理やり「数Ⅲの授業」を一学期だけはしてもらった。周りの迷惑も顧みず。他人の人生も変えてしまったかも知れない。
 でも、大学・大学院と「美術教育」を学び、一応は中学校の美術の先生になれたことは、良かったと思う。思いっきり転落したが、今は楽しく利用させて頂いている。
 結局最後は神様まかせの人生だったのだと思う。

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