
学生の頃、この本を読んだり、映画だったかを見たり、あるいは話題になっているのを聞いたりしている中で、日本は呪われても仕方がないと思った。
日本のキリシタン迫害は熾烈を極めた。そして、戦前にもキリスト教は迫害された。
単純にこんな酷いことをしておいて幸せになりたいとか、祝福してほしいと考えるのはあまりにも虫のいい話だと思った。
クリスチャンになってから、振り返ってみると、それはもっと切実に感じられるものだった。
牧師になろうと考えるようになってから思ったことは、牧師になることを『献身する』ということが心にかかった。『献身』とは「自分の身を献げること」であるから、「生贄となることなのではないか」と思った。その時に合わせて思ったことは、「この国に残っている人は、隠れキリシタン以外は、キリシタンを迫害した人か、転んだ人か、見て見ぬフリをした人の子孫ではないか」ということだった。そして、「自分もその子孫の一人なのではないか」と思った。
第二次大戦に負けたのは必然のように感じた。日本が韓国、北朝鮮、中国、東南アジアを支配することは許されないことだったのではないか、と。
そして、献身を決心した時に思ったことは、「この日本の国の『呪い』を断ち切るための生贄にならなければならないのではないか」ということだった。それは、色々な意味での罪滅ぼしだと思った。
皆様は、「自分が呪われているのでは…」と思ったことはありませんか。
私は、子どもの頃からずうっと、呪われていると思って生きて来ました。その呪いを断ち切りたいという個人的な思いもありました。そして、クリスチャンになることで、かなりの呪いから解き放たれたと思っています。でも、まだ完全に取り除けているとは思っていません。そのために、少しでも償いをしていかなければと思っています。
この国に全能の神様からの御加護がありますように。


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