
前回は「破壊の神」であると紹介させて頂きました。
写真は三国志の関羽将軍で、中国(?)辺りでは、神として尊敬されていますが、神ではないでしょう。こうして、いくらでも神を造っていくので、偶像礼拝は増える一方なのでしょう。自分たちの好きな人はいくらでも神として崇めるのに、(私には)本物の神様(イエス様)は信じようともしないというのも気にかかるところですが。
「破壊の神」というのは、「正しいことをしない人々を滅ぼす神様」ということになります。ガンダムなどの戦闘系のアニメを見ていると「正義はいくらでもある」とか「正義はその人その人によって違う」とか「立場や陣営にそれぞれの正義がある」というような話が出て来る。
哲学的な言い方をすると「絶対普遍的正義は存在しない」という感じだろうと思います。そして、今の時代そんなものはみんなないと思っているようですので、「キリスト教の神にはキリスト教の神の正義がある」という言い方をした方がいいように思えて来ます。
最近の転生もののアニメを見ていると、神様によって転生して勇者なり、何なりとしての働きをしていますが、そのやり取りの中で、「神様が直接介入して、自分でやったらどうですか?」という転生者の質問に「神は直接介入できないんだ」という感じの回答が一般的なようです。だから、勇者などを遣わして、人々が幸せに生きれるように、世界の安寧を守ろうと、頑張っているのだと、神様が言う。
そこで、転生者の必要性を示しているのだろうと思います。
キリスト教的にも「神様が自分でやればいいのに」という思いは正直わいて来ることがあります。神様はあまり直接介入がお好きではないように思います。
でも、実は何度も直接介入をしたのではと思えることがあります。旧約聖書の中には多いですが、紀元後にもそう感じられることは何度も噂されています。たぶん、「ワーテルローの戦い」でのナポレオンの敗退は有名なのではないでしょうか。しかし、歴史の中で何かが大きく動く時、神様の介入とそれを知らせる預言者の存在らしきものがぼんやりと残っています。面白いのは「はっきり」ではないのです。それは、どこまでも「信仰」によってしか理解できないようにされているのだと思います。
そして、神の直接介入の最大のものが「イエス様の生涯」です。神が人となって、人間の世界で生活をし、教え、模範を示したのです。でも、人にとって神の存在は「邪魔」であるということがわかります。キリストを十字架にかけて殺すわけですから。そして、神は殺されたイエス様を復活させるというとても大きな介入をします。そこに「最大の正義」を示しているのです。
キリストの復活こそが「神の義」の最も明確な意志の表明です。
人の目に「悪」であり、「正しくない」として裁かれても、神の目に「正しく、無罪」であれば、「その人は永遠に生きるべきである」というのが、「神の義」です。
最近、「冤罪防止」あるいは「救済」の法が話題になっていますが、イエス様は冤罪で十字架刑に処せられて、殺されました。しかし、神はその誤りに直接介入して、イエス様を復活させたのです。
これが神の義であり、神はそれを絶対普遍的正義として、永遠に確定したのです。
黙示録の中には、神様の祭壇の下で「いつまでさばきを行わないのですか」と叫んでいる者たちがいます。正しく生き、良き証を立てたのに迫害され、殺された者たちです。
人にはそれぞれの主義主張があります。そして、誰の言っていることが正しいのかわからないような時もしばしばです。
皆自分たちのしていることを、「正しいことだ」と言い、「正義だ」と言い、「正義の戦争だ」と言い、「悪を滅ぼすのだ」と言い、暴動をおこし、内乱や内戦を起こし、紛争になり、戦争をして、大量の人を虐殺、蹂躙、皆殺しにして来ているのです。彼らの正義は本物でしょうか。
そんな混乱している現代だからこそ、私は「神の義」にかけたいのです。



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