
中部電力の原子力発電所データ改ざん問題で会長と社長が辞任するというニュースをしていた。その中で、会社の中に「極めて特異な考え方」があったということを言っていた。
この「極めて特異な考え方」という言葉、これから滅茶苦茶流行りそうに思いました。
如何ですか?
でも、これは、本当に「極めて特異な考え方」だったのでしょうか。データを改ざんして、何らかの審査を通したいという思いは、どこにでもあるような気がします。ですから、「極めて特異な考え方」というのは、実は「極当たり前の考え方」のように思います。
都合の悪いことは、「知らない」「忘れた」「いっさい記憶にございません」的な発言はこれまでにもたくさん聞きましたし、現在の総務省のデータの削除問題にしても、検察の冤罪事件の問題にしても、様々に起る「不都合な問題」を無かったことにするというのは、すべてこの「極めて特異な考え方」に相当するものだと思います。
逆に言えば、どこにでも、いつでもある「考え方」で、問題なのは「本当にやってしまうのか」ということではないでしょうか。
聖書にはとても有名な「裏切者のユダ」がいます。イエス様のことを疑う者は他にもいただろうし、裏切ろうと思った者もいたと思います。そうしたことは、私たちの日常のどこにでもあることで、ユダの場合は「裏切り」ですが、「犯罪に手を染める」というのはやはり、「本当にやってしまうのか」という判断にかかっていると思います。
ですから、本当の問題は「極めて特異な考え方」ではなく、「改ざんするのか」「本当にやってしまうのか」だったのではないかと思います。
でもこの言葉、刺さります。
どう思われますか?
PS:「中部電力」と検索すると「中風電力」と出て来ました。会社が中風状態という意味の検索エンジンの皮肉なのでしょうか。最近、検索エンジンはAIの影響が大きいと思いますので、やってくれそうに思います。



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