人間は考える葦である

【新改訳2017】ヨハネ 3:8
風は思いのままに吹きます。その音を聞いても、それがどこから来てどこへ行くのか分かりません。御霊によって生まれた者もみな、それと同じです。

マタイ 11:7
この人たちが行ってしまうと、イエスはヨハネについて群衆に話し始められた。「あなたがたは何を見に荒野に出て行ったのですか。風に揺れる葦ですか。

 最初の聖句はユダヤ教の教師のニコデモに「人は新しく生まれなければならない」とイエス様が教えた教えについて、理解できないニコデモに「聖霊によって生まれる」ということを教えるためのものです。そして、後の聖句は洗礼ヨハネについての説明をするためのものです。
 共通点は「風」です。聖書では「霊(=御霊=聖霊)」のことは「プニューマ(ギリシア語)、ルアハ(へブル語)」と言います。これは、「風、霊」と訳されますが同じ言葉です。

 これはあくまでもイメージとしてですが、パスカルの心の中にこれらの聖句があったのではないかと思います。
 人は弱い葦のような存在であり、その葦に神の息吹である聖霊が吹きかけると人はそれに応えるように、そよぐ。風も神の霊も見えない。しかし、人が揺れ、頭を垂れることで神の霊の存在を証明している。
 弱い葦だけど、「考えることで」、それはつまり、「神を信じ、神を思う=瞑想(パンセ)することで」、神を現わし、その存在を証明するのだと。
 キリスト教と科学は相反するものではなかった。科学の進歩や科学の新しい発見や発明が、神の存在証明となり、神の新たなご性質を表明するものだと考えたのだと思う。
 天気予報の時の使われる「パスカル」は彼の名前であり、「油圧機」の「パスカルの原理」は彼の発見であり、発明である。そして、「パンセ=瞑想」は彼の主著である。それは彼が立派なクリスチャンだったことを意味している。

 上掲の本の説明、「科学者でもあり哲学者でもあった」は間違いではないかも知れないけれど、「敬虔なクリスチャンであった」が欠落している。
 日本では、この「クリスチャンであった」という説明はしばしば欠落している。その人が日本人であったとしても。
 彼らの功績は「神の祝福」であったと思うけれど…。

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