命には命を

 なぜか夜中に目が覚めてしまって、寝られないので、ブログを書きます。
 48歳の男性が法廷に乱入て、「この判決じゃ報われねえぞ」などと叫び暴れたというニュースを見た。
 求刑通りの懲役27年はとても重い判決だと思う。でも、納得しない人もいるのだろう。
 以前に広島の光市で母子殺人が行われて、「無期懲役」が「死刑」になった。四人殺して死刑だったものが、一人半で死刑になったのは異例だったようだ。
 今回は一人の命なので、死刑にはならないというのが、「判例」なのだと思うけれど、最近は厳罰化が求められるケースが多いようだ。
 ハムラビ法典や旧約聖書で有名なのは「目には目、歯には歯」だと思うが、初めて聖書を読んだ時に驚いたのは、その前に「命には命を」とある部分だった。当然と言えば当然である。

【新改訳2017】申命記 19:21
あわれみをかけてはならない。いのちにはいのちを目には目を、歯には歯を、手には手を、足には足を。

 こういうのを法律では、「等価賠償」とか「等価補償」と言うそうで、「等価賠償」は同じもので、「等価補償」は同等の価値のあるもので、償え!ということのようだ。大切なのはそれ以上であってはならないということで、過剰な復讐を止めるためのもののようだ。
 この「目には目、歯には歯」を「ゆるしなさい」と言ったのはイエス様である。それが、世界に広がって、現代の法律に反映しているのだと思う。
 でも、イエス様の言った「ゆるし」とは「悔い改めと償い」が伴うものである。だから、これは「等価補償」であると言える。
 しかし、「命」に見合うものは何かと考えると「無い」というのが答えだと思うけれど、「ライフ=命」は「ライフ=生涯」であり、「ライフ=生活」である。つまり「、一生かけて、毎日死ぬまで、悔いて償い続ける」ということになるのではないだろうか。
 27年間の刑期を終えて「おしまい」にはならない。
 そして、最も大切なことは「本当に悪いことをしたと、心の底から悔い改め、生き方を変え、償いの人生を送る」ことだろう。周りから罵声を浴び、罵られても、それを心底から受け止めなければならないだろう。
 もし、「等価賠償」なら、この犯人も裸にされて、罵られて橋から着く落とされなければならない。その代わりなのだから、このしたことを一生受け止め続けなければならないのだろう。

 でも、そんなに人を責めることのできるほど正しい人は一人もいないというのが、イエス様の見解だけれど。

 ただ、本人の素顔とこの写真にある「つくりものの顔」がとても違うことが、気になる。本人は「この顔に生まれたかった」ということなのだろうか。その違いが「動機」なのだろうか。だとしたら、悲しい過ぎるように思う。

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