キリスト教の神 夫婦の神

【新改訳2017】創世記
2:20 人はすべての家畜、空の鳥、すべての野の獣に名をつけた。しかし、アダムには、ふさわしい助け手が見つからなかった。
2:21 神である【主】は、深い眠りを人に下された。それで、人は眠った。主は彼のあばら骨の一つを取り、そのところを肉でふさがれた。
2:22 神である【主】は、人から取ったあばら骨を一人の女に造り上げ、人のところに連れて来られた。
2:23 人は言った。「これこそ、ついに私の骨からの骨、私の肉からの肉。これを女と名づけよう。男から取られたのだから。」
2:24 それゆえ、男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となるのである。
2:25 そのとき、人とその妻はふたりとも裸であったが、恥ずかしいとは思わなかった。

 「縁結びの神」と言うけれど、その前に「夫婦」「夫妻」ということが意図されていた。神様がアダムとエバを創った時から、縁結びも神様の仕事として決まっていたのだろうと思う。
 結婚式のアルバイトをしながら、これはキリスト教にピッタリの仕事だと思った。

 この創世記の記事は重要なことが幾つも含められている。
 まず、最初は動物をパートナーとすることが考えられていたのかと思うが、動物の中にはパートナーがいないことを確認させたのだと思う。そして、名前を付けさせている。それはアダムの知性の高さを示しているのと同時に、物事を区別分類する上で名前が必要なことや「命名」自体が重要なことを示している。
 二人が一心同体となることも示されている。結婚する上で大切なことは父と母を離れることである。マザコンとかファザコンとかは夫婦になる上で障害となる。
 そして、裸であることを恥ずかしいとは思わなかったことだ。
 男尊女卑というのは、ありえない話だ。

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