
この人は『ブチ切れ令嬢は復讐を誓いました』というアニメの登場人物で「セドリック・ルーインズ」と言います。セドリック商会の商会長、帝国商業評議会の評議員で、「教育者」の二つ名をもっている人物です。
彼は、奴隷に「教育」を施して販売するという奴隷商人だ。「奴隷商人」というと現代では受け入れられないものですが、「教育」というものの大切さを示していると思う。
算術、礼儀マナー、武術等とありますが、当然文字の読み書きもあるでしょう。健康管理もして、宮廷などにもその人材として「ブランド化」して送っているのです。
「奴隷」ということを除けば、現代でも十分通用していることだと思います。
仮に奴隷のように立場や生まれた環境が悪くても、「教育を受ける」ことで、自分の人生を変えることができることを示していると思います。
私は教育学部の大学院まで行って、「教育とは何と素晴らしいものだろうか」と思いました。それがスポーツであっても、学ぶこと、努力すること、そして、「教えてもらうこと」は本当に大切なものだと思いました。自分の立場をアップグレードする一番の近道のようにも思っています。
その一方で、「教育を受けられない」というのが、どれほど不利なものかと思います。最近は「教育格差」という言葉もあるように、やはり「生まれ」や「環境」に左右されることも多いですが、それでも努力することは大切だと思います。
日本には江戸時代から「寺子屋」のようなものがあり、教育機関が民衆の中から生まれています。「読み・書き・そろばん」という「三つのR Reading(リーディング:読書)、Writing(ライティング:作文)、ArithmeticまたはReckoning(アリスメティック/レコニング:算術・計算・そろばん)」の教育の基本的要素を教えていたのです。
勉強をすることで、より良い就職口を見つけることができたのだと思いますし、武士であっても剣術と同時に学問が必要だったのだろうと思います。
明治維新が起こり、新しい外国の文化が入って来ても、ものすごい勢いで工業化できたことも、当時の日本人の学力が大きかったことが重要な力だったのだと思います。
新政府誕生間もない、明治五年に早速「学制」を施いたのは当時の政府の慧眼だったと思います。
「勉強は嫌い!」というのは、私も子どもの頃に思いました。理解できないことを無理やりやっているのは苦痛です。それでも、頑張らなければならないものだったのだと、大学に入ってとても思いました。
教育は自分を強くしてくれるものです。学ぶことを放棄するのは、自分自身を粗末にすることだと思います。それがたとえすぐにお金にならないものであっても。
ホモサピエンスとは「賢い人」の意味だそうです。ただの「動物としてのヒト」ではなく、教育を受けた知性と尊厳を持った『人間=ホモサピエンス』に作り替えるものが「教育」だと思います。
全員が「大学教育」までを公教育として、受けられることを希います。また、現在「物価高」で、塾の費用を抑えなければならないということを聞き、とても残念に思います。



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