
学生の頃に、誰かに言われた。「愛というのは、『渇愛』(『割愛』)の『愛』だから、相手を大切に思うとかの意味ではない。ただの『執着』だ」と。その人は、確か仏教的な『煩悩』の話としての『愛』について話してくれたものだった。
Geminiによると、愛とは「相手のことが気になって立ち去りがたい」という言葉が元になっていると教えてくれる。そして、「仏教における意味: もともとは「愛欲」「渇愛」といった、執着や煩悩を意味するマイナスの言葉として使われていました。」と。さらに、「 明治時代に西洋の『ラブ(love)』の概念が日本に入ってきた際、それを翻訳する言葉として『愛』という漢字が当てられ、現在のような『無償の愛』や『恋愛』といったプラスのイメージとして広く定着しました。」と教えてくれる。
キリスト教会へ行くようになると、この『愛』という言葉が気になる。何度も繰り返して話の中に出て来る。Geminiも言っているように、元々日本語には「love」の意味としての「愛」は無かったのだと思う。そこに、たぶんキリスト教を中心とした愛の概念が入って来て、「愛している」という言葉も生まれ、定着して来たのだと思う。
上掲の甲骨文字からの解説とは違うのだけれど、漢字の「愛」という文字は「心」を「受ける(『ノ』は足りないけれど…)」という意味で理解してもいいように思う。「相手の心を受け止める」という意味で「愛」として理解するのは、「恋」とは違って、自分の心よりも相手の心を大切にするというイメージでいいように感じる。
神学校の時に、英語を教えてくださった宣教師の先生の家を訪ねた時に、「like」と「love」の違いを教えてほしいと言うと、「試してみたらいい」と奥さんが言ってくれて、小学二年生くらいのお嬢さんを呼んでくれた。「I like you.」と言うと、ニコッと笑って、「Thank you.」と言ってくれた。それで、気を良くして、「I love you.」と言うと、パッと顔が固まって、みるみる真っ赤になって、走って逃げた。「わかった?」と聞かれたが、本当にわかったかどうかはわからない。ただ、驚異的な破壊力のある言葉だと思った。
元々日本にはなかった言葉の「愛している」は今は本当に定着しているのだろうか。最近は「love」は「大好き」と訳されていると思う。そして、「愛している」という言葉は男女の間でしか使われないか、あるいはすでに使われなくなっているのかも知れない。
アニメの中では、告白の時に「好き」と言って、「恋愛の好きという意味」という説明をしている。たぶん、「愛している」という言葉は使えなくなっているように感じる。
このまま行くと日本から「愛」はまた無くなってしまうのだろうか。


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