音楽と私③ 大学の音楽の授業と課題

 大学に入って音楽の授業があったのは大きな誤算だった。まさかここに来て音楽をしなければならないというのはあまりにも理不尽なことに思えた。その代わりに香川大学では語学が一つでよくて何と「英語」を取らなくていいことがわかり、漢文とマージャンが好きだった私は「中国語」を取った。これは、大学院と神学校へ行く上では大間違いだったのだが。
 それで、音楽の授業になったが、さすがに大学の音楽はそれまでとは違い、と言っても中学までの音楽の授業だけど、講義はとても楽しかった。実技がなければ音楽も隣の家の揉め事程度の話で済む。
 ところが、実技は別にガッツリあって、ピアノをしなければならなかった。初年度は「トンプソン」で次年度は「ブルグミュラー」だった。これは絶望的だった。それで思い出したのが、啄木の「はたらけどはたらけど猶(なほ)わが生活(くらし)楽にならざりぢつと手を見る」だった。「ピアノ 練習すれどすれど うまくならず じっと手を見る」という感じだった。
 同級生の一つ年上のとても優しい女の子が見かねて教えてくれた。が、全くうまくならない。何度も自分の手を見つめては、生まれて初めて「手に五本の指が付いている」ことに気が付いた。薬指と小指に役割があったことに驚きを隠せなかった。
 夏休みに実家に帰って、母に愚痴をこぼしたら、母が「お前の伯父も師範学校へ行って、オルガンの授業があって、全然できなかったから腹を立てて、オルガンを家から投げ出した。」と教えてくれた。
 これが血筋というものなのだと諦めた。伯父は連隊長になり、馬にまで乗っていた人だと聞いていたので、オルガンが弾けなくても、連隊長くらいにはなれると思うことにした。
 しかし、ピアノの授業は困難を極めた。利き手の右手はまだしも、左手は悲し過ぎた。それこそ、左手というものがあることを知ったという感じだった。
 先生たちも当時の男子なんてそんなものくらいに思ってくれていたようで、単位はくださった。
 ところが、最大の難関が待ち受けていたのである。それは「採用試験」という壁だった。私は大学院に進んだので、一度はパスできたがそれの時は確実にやって来た。しかし、そのための対策を大学の音楽の先生が教えてくださっていた。
 彼は東京音大を出て、クラリネットが専門の先生だった。都はるみをこよなく愛していて、一度彼女の歌を演奏してくれた。そこで都はるみが歌っているかのような演奏に驚いた。でも、このちょっとふざけた感じの先生が、採用試験合格の秘技中の秘技を教えてくれた。曰く、「どうせ男子はピアノなんか弾けないし、採用する方だって期待なんかしていない。伴奏は主要三和音の中のⅠのみを左手で弾く。つまり『ドミソ』だ。そして、メロディーは人差し指だけでいいから弾け。そして、これが一番肝心なところだが、兎に角出せる限りの大声で歌う! ピアノの音が全く聞こえない程の大声で。」とのことでした。
 院の二年目だったが、学部のその先生の教えを忠実に実行して採用試験を受けた。小学校も中学校も両方通った。が、中学に回された。小学校の先生だったら、続けられていたかも知れないけれど、音楽を教えることがなかったことは、素晴らしい児童愛護と社会貢献だったと思う。
 

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