因果応報

 「因果応報」と言う言葉は聖書には載っていないが、「やったことの報いは必ず受ける」というのは聖書全体を通して描かれている法則、ルール、決まり事である。

【新改訳2017】出エジプト
20:5 それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、【主】であるわたしは、ねたみの神。わたしを憎む者には父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、
20:6 わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。

 「親の因果を子に報い」という神様なので、本人の咎(とが=罪)は当然本人に返る。それで、「呪いは三代、四代」で「恵みは千代」だから、愛される方が長いし、いいですよね。

 私も牧師になって、というよりもクリスチャンになってから、周りでいろんなことがたくさん起こりますが、それは正に「因果応報」だと思います。でも実際は、クリスチャンになる前からそう感じていたのです。
 だから、これは仏教の教えというよりは、「この世の『理(ことわり)』そのもの」だと思います。そして、良いことは「祝福」で、悪いことは「裁き」とか「罰」とか「呪い」とか呼ばれていると思います。

 「酷い目に遭う人」「病気になる人」「事故や怪我をする人」「家族や身内に悲惨なことが起こる人」「死ぬ人」「不幸を繰り返す人」等々。
 ただのたちの悪い「呪い」や「恨み」や「憎しみ」のこともありますが、本人の「イジワル」「妬み」「いじめ」「権力を使ったもの」「金銭を使ったもの」「人を使ったもの」「仲間、友人、知人を頼ったもの」「巻き込まれて共犯になった者」等々への応報である場合は多いし、怖いですね。
 特に神様に愛されている人をひどい目に遭わせた人は終わっていますね。子ども、無垢な人、いたいけな少年少女、女性、お年寄り、弱者等々。
 たとえ、この世を生き延びることができたとしても、あの世で神の前に立ったときには、みじん切りにされて、ゴミのように生きることになるでしょう。

 これらは、自動的にクルクル回るようなものではなく、神様が「見て」「判断して」「裁く」のです。「悪いこと」をして、見逃されることはありません。

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