破壊の神

 前回は「創造の神」としてのキリスト教の神を紹介しましたが、今回はその真逆のような「破壊の神」です。
 天地が創られてから、最初にあった破壊は「ノアの箱舟」でしょう。地球規模の大洪水でノアの家族以外はすべて滅ぼされました。その原因は、
【新改訳2017】創世記(6:5~6)
6:5 【主】は、地上に人の悪が増大し、その心に図ることがみな、いつも悪に傾くのをご覧になった。
6:6 それで【主】は、地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛められた。
6:7 そして【主】は言われた。「わたしが創造した人を地の面から消し去ろう。人をはじめ、家畜や這うもの、空の鳥に至るまで。わたしは、これらを造ったことを悔やむ。」
だと神様が言っています。
 これはこの後出て来る神様による破壊の理由として理解しなければならないことです。
 ソドム・ゴモラの時も、モーセがイスラエルの民をエジプトから連れ出した途中でも。また、破壊まではいかなかったけれど、アッシリア、バビロン捕囚から、ディアスポラに至るまで、神様が全世界の国民、一部地域、一部の民族などを滅ぼす時の理由として、まず挙げられるべき理由です。
 そして、今後世界の絶滅が起こる理由も、この同じ理由です。
 勿論、人が滅ぼすのとは違います。
 よく、ソドム・ゴモラは『同性愛』だったから滅ぼされたと言いますが、その理由で全滅させるようなことはありえないでしょう。それは表象の一つにしか過ぎないでしょう。
 むしろ、旅人を蹂躙(レイプ)してもその罪が問われない、所謂「無法地帯」と化していることが問題です。「悪いことをしたら、罰せられる」という当たり前のことが成り立たず、やりたい放題をみんながしている状態です。
 そこには当然「犠牲者」が伴いますが、その犠牲者が暴力、虐待、蹂躙され、無残にも殺され、遺棄されても誰も気にもとめないか、喜んでいるとしたら、神様の破壊の対象となるでしょう。
 例えば、子どもが性奴隷として売られ、凌辱され短命で死ぬということが、当たり前の社会になり、奴隷制度が歴然と存在し、差別が当たり前で、力による支配のために、人の尊厳などどこにもなく、絶望の中で生き、また死ぬような社会であるなら、神様は人など創ったことを「悔いる」ことでしょう。
 そして、創った者(創造の神)の責任として、これを滅殺するでしょう。
 皆様は気が付かれているのではないでしょうか。今がその状態に近いことを。それぞれの国がそれぞれの思い通りにし、多くの人が苦しめられ、殺されていて、人が死ぬことも常態化していて、自国ファーストなり、○○ファーストを掲げている人たちは、他国、他人のことは考えないのだと公言しているのです。他国や他地域の人たちがどうなろうと知ったことではないと、言っているのと同じです。
 自分の幸せと自分の楽しみのために、人がどんな犠牲になろうとも関係ないのです。「エプスタイン事件」などがその典型です。
 人間の尊厳を奪われ、強制と虐待によって、絶望的な人生を送らなければならない世なら、無くなってしまった方がいいでしょう。仏教の言うこの世はすべて虚しく苦に満ちているのなら、消し去られるべきです。
 残念なことに、全滅させられる時には、正しい人も共にです。勿論後から救済はありますが、その時はもろ共です。誰が正しいのか、悪いのかはわからないでしょう。
 それでも、正しい人は救われます。だからこそ、「義人は信仰によって生きる」のです。

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