鍛金

 学生の頃に『彫金』の授業があって、クリスチャンの叔母にダビデの星をベースにしたものを銅版に彫って、コースターのようにしたことがありました。その後『鍛金』の本に出合って、すごいことができるのだと感心していたのですが、結婚した頃から少しずつ制作にいそしむようになって、結婚式のアルバイトをしていた時に、オーストラリア出身で、イギリスのケンブリッジを出たという先生に遭って、その先生がしていた十字架が素敵だったので、それに似せて自分で造りました。
 その後、妻のためにも十字架を造りたいと思って、構想から五年以上かかって漸くできました。
 銀を叩いて、輪を造り、一筆書きのように少しずつ形を造って仕上げました。『鍛金』と言うにはちょっとお粗末かも知れませんが。
 真ん中には何か宝石のようなものを嵌めようと思ったのですが、子どもの頃にもう一人の伯母がくれた『虫食い珊瑚玉』をあしらうことにしました。
 この虫食い珊瑚は伯母が親から贈られた『銀のかんざし』に着いていたものだったそうで、戦時中に金属の供出をさせられた時に悔しかったので、珊瑚玉だけを取り外したのだと言っていました。伯母は「戦争で使う爆弾などに銀なんていらないだろうに、何で銀まで供出させるのだろう」と文句を言っていました。たぶん爆弾には使わないけれど、勲章を造るのに必要だったのでしょう。それでも、親の形見になった筈の物を供出させられたことは理不尽で悔しかったのだと思います。
 その伯母が何で小学生だった私にこれをくれたのかは、考えてみれば謎でしたが、この十字架になって復活させてもらえたので、このためにくれたのだと思います。五十年以上経って、ようやく伯母に感謝の意を表すことができたかも知れません。
 この教会に派遣されてしばらくした時に精神的にかなりヤバイ状態になった頃、恩師の北野先生にカウンセリングをして頂いたことがありました。そのカウンセリングで気づかせて頂いたのが、『モノづくり』だったのです。何かを造っていると精神的に安定するだろうことがわかりました。献身した後には何かを造ることをあまりしなくなりました。美術に走るとまたツラい思いをするような軽いトラウマもあったからでしょう。でも、北野先生が「東先生、何かつくっていますか?」と、よく聞くようになってくださって、確かに不安定になって電話をした時には何もつくっていないことが多かったのです。
 そんなこともあり、新しいことがしたくて『鍛金』に手を出したということでした。それからは色々なものを楽しくつくることができるようになって、不安定になるとモノづくりに逃げることにしています。
 この伯母は明治43年生まれで、お医者さんだった祖父の長女でしたので、お嬢様として育てられたようです。書画骨董が好きで、お茶道具などもよく見せてくれていましたし、子どもの頃はお花の先生が来て、母と一緒に習っているのを見ていました。美術をするようになった時にはとても役立ちました。お茶やお花が好きだったのはこの伯母のお蔭だと思います。

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