終戦とは『終』わらない『戦』後

子どもの頃から、「戦争に負けた」とか、「敗戦と終戦は違う」とか、「日本は原爆が落とされた」とか、「東京大空襲は原爆よりも悲惨だった」かと、「日本はパールハーバーで、『宣戦布告』が届く前に攻撃した」とか、「特攻隊はむごいものだったが、回天はもっと悲惨だった」とか…。等など。
第二次世界大戦にまつわる話はいくらでも転がっていた。
ただ、一ついつも疑問に感じていたのは、「戦後の日本のあり方」が、「どれもこれもしっくりこない感」があった。「平和」とか、「自由」とか、「博愛」とか、取って付けたような言葉がカニの泡のように聞こえた。
平和な国、戦争をしない国、等などと言われても、それがいいことぐらいはわかるが、「なぜ、そういうことを目的としたのかという根拠」が、いつもボンヤリしてわかりづらかった。
そして、「平和な国をつくる」と言っても、それが、どうにも戦前の「大日本帝国」を目指しているようにしか思えなかった。「国体護持」とか、「大東亜共栄圏」とか、「八紘一宇」とか、タブー視されて、地下に潜って裏でやっているように思えた。「政府の本音は…」と学生時代に良く聞いた。
その理由は、アメリカによって戦後を支配された時に、「日本の罪は無くなった」という感じからなのだろう。正しく反省することもなく、悔改めることもなく、砂上に楼閣を作って来たように感じる。
朝鮮戦争で、「神武景気」となり、死に体だった日本は、息を吹き返す。戦争が悪いとか、軍需産業がどうのという話は消えた。戦前の日本が蘇った感だ。
本当は、正しく「反省」なり、「総括」なりをして、確固とした根拠を持って、戦後の再建をするべきだったが、最大のチャンスを逃した。戦争に苦しめられた人々がようやく口を開けるようになって、それが今再び訪れたのなら、今度は正しく判断して、「ケジメ」をつけなければならない。
岸田首相は、最近は不人気で、次回の総裁選には出ないと、おっしゃっているが、広島でサミットを開催されたり、平和公園に各国の首脳を連れて来てくださったことには、心から感謝申し上げたい。

コメント

PAGE TOP
タイトルとURLをコピーしました