キリスト教の壺

キリスト教の神 戦いの神

メッシ選手のゴールと祈りの姿のことを昨日も書きました。 もし、「勝利」が「神(主)の御心」だとしたら、各国にクリスチャンがいるなら、どの国に勝利を、どのチームに勝利を与えようと考えるだろうか。 それは、きっと「自分対して」、「誠実であり」「...
キリスト教の壺

キリスト教の神 勝利の神

今サッカーのワールドカップをやっている。いろんな国の選手が出て来るけれど、「十字を切り祈る選手」の姿が印象的に見える。 とても様になっていてカッコいい。 私の年齢だと、ビスマルク選手が印象深い。 いいプレーでも、ミスしたプレーでも、神に祈る...
キリスト教の壺

キリスト教の神 神が希う愛

【新改訳2017】Ⅰコリント13:1 たとえ私が人の異言や御使いの異言で話しても、愛がなければ、騒がしいどらや、うるさいシンバルと同じです。13:2 たとえ私が預言の賜物を持ち、あらゆる奥義とあらゆる知識に通じていても、たとえ山を動かすほど...
キリスト教の壺

キリスト教の神 愛の神

先日書いた和美叔母さんの口癖が、「神は愛なり」だった。当時の教会では「文語訳」の聖書も使っていたので、「神は愛である」という口語訳の聖書の言葉よりも定着していた。現代の「神は愛です」になった時には、私も少し抵抗がありましたが、わかりやすいと...
牧師のアトリエ

音楽と私⑥-① 主われを愛す

宇部の教会に行くようになり、信仰決心もして、聖霊のバプテスマも受けた後、次の人生を考えなければならなかったので、実家に帰った。そして、一番近いアッセンブリーの教会が福山にあったので、そちらに通うことにした。 相変わらず、賛美は苦手なまま礼拝...
雑感

ロッキードか、リクルートか

高市首相の「中傷動画問題」というのがこの間あたりからずうっとニュースになっている。 正直何のことなのかよくわからない。わからないのに、ずうっともめている感が強くて、やっぱり問題なのだろうと思う。 「中傷」と「批判」との違いも微妙な気がして、...
キリスト教の壺

因果応報

「因果応報」と言う言葉は聖書には載っていないが、「やったことの報いは必ず受ける」というのは聖書全体を通して描かれている法則、ルール、決まり事である。 【新改訳2017】出エジプト20:5 それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。...
雑感

命には命を

なぜか夜中に目が覚めてしまって、寝られないので、ブログを書きます。 48歳の男性が法廷に乱入して、「この判決じゃ報われねえぞ」などと叫び暴れたというニュースを見た。 求刑通りの懲役27年はとても重い判決だと思う。でも、納得しない人もいるのだ...
雑感

本当にあった怖い話

子どもの頃に、どこかでちらし寿司をご馳走になった。大好物の一つでもあった私は、大喜びで食べ始めた。そして、どんどんと食べ進めているうちに、口の中に違和感を感じて、思わず吐き出した。 するとなんと「ナメクジ」だったのです。 私はシイタケだとば...
キリスト教の壺

キリスト教の神 義の神

前回は「破壊の神」であると紹介させて頂きました。 写真は三国志の関羽将軍で、中国(?)辺りでは、神として尊敬されていますが、神ではないでしょう。こうして、いくらでも神を造っていくので、偶像礼拝は増える一方なのでしょう。自分たちの好きな人はい...
牧師のアトリエ

音楽と私⑤ 愛の讃歌

大学院の時、あれはどういう流れだったのか、きっと何かの飲み会に参加することになっていたのか、時間を間違えたのか、予定よりもかなり早く着いてしまったのだと思う。 するともう一人そこに来ていた子がいた。音楽の子で、マドンナのような存在の子だった...
雑感

能登支援ボランティア

6月19日(金)~22日(月)まで、「第11回目の能登支援ボランティア」に関西教区の勇士とゴスペルシンガーのAKKOさんとSUMIREさんも一緒に活動されています。 今日は「早天礼拝・珠洲市正院仮設でのイベント・anarchyでのお茶会とゴ...
キリスト教の壺

礼拝とは『神様と一つ』

礼拝に出席すると、神様の臨在(そこにいらっしゃること)を感じることができる。心を清ましていくと、神様が自分の内にいらっしゃることがわかる。そして、自分の心と体と一つになっていてくださっていることがわかる。さらに、自分を包むすべての「世界」と...
牧師のアトリエ

礼拝とは『リセットの瞬間』

かわいい写真なので使わせて頂きました。ありがとうございます。 「日曜礼拝」という記事を前回載せましたが、本当はこの「礼拝」についての記事を書きたかったのです。明日にしようと思ったのですが、やはり書いておきたい思い、この時間になってしまいまし...
教会での日常

日曜礼拝

「日曜礼拝」というと、一般的な教会の礼拝会をさす。「どうして日曜日に礼拝をしているのか?」というのは、日曜日の朝にイエス様が復活されたので、それを記念して礼拝会を持っていた。キリスト教がローマで国教となり、日曜日を礼拝の日として休みとするよ...
牧師のアトリエ

音楽と私④ 酒と泪と男と女

学部生の頃にカラオケに行ったことはなかったと思う。それが、大学院に入ってから様子が変わった。学部の時は「美術研究室」の子たちとのやりとりばかりで、他学科との人間関係はほぼ無かった。 心理学研究室に目をつけられて実験体にされるくらいだった。 ...
雑感

サブスク、ちょっと飽きてきたかも…

ネトフリとかアマプラとかユーチューブとか…「好きなものを好きなだけ」というスタイルのようなのだけれど、ちょっと飽きて来たかも知れないと、この頃思うのです。 勿論今でも見ますが、何と言うのでしょう。食傷気味という感じかも知れません。  例えば...
牧師のアトリエ

音楽と私③ 大学の音楽の授業と課題

大学に入って音楽の授業があったのは大きな誤算だった。まさかここに来て音楽をしなければならないというのはあまりにも理不尽なことに思えた。その代わりに香川大学では語学が一つでよくて何と「英語」を取らなくていいことがわかり、漢文とマージャンが好き...
聖書から

天国は『高嶺』ではない

「わけ登る麓の道は多けれど同じ高嶺の月を見るかな」という短歌・狂歌を描いたのは一休さんだと聞いた。本当かどうか怪しいらしいが、この短歌はよく「どんな宗教でも、行きつく先は同じだから、どんな宗教でもいいから、信じることが大切だ」みたいなことの...
牧師のアトリエ

2001年宇宙の旅

学生の頃に見て、とても感動したことを覚えている。結婚した時に是非とも妻と分かち合いたくて、ビデオ屋で借りて来て一緒に見た。その時はその時で新たな感動があった。 そして、久しぶりに最近見た。AIが発達していることもあって、再び見たくなった。特...
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