クリスマスの想い出

皆さんは、クリスマスにはどんな想い出がありますか? 一人ひとり、それぞれに想い出があることでしょう。
私は、子どもの頃、お花屋さんをしていた伯母が用意してくれていたもみの木の切り口を斜めに切り落として、台所と居間の間にある木の柱に扉が閉まるように注意して、釘で打ち付けて斜めに取り付けてから、飾りつけをしていました。切り口を斜めにのこぎりで切るのも、それを釘で柱に打ち付けるのもなかなか技術のいることでした。小さい頃は、父がしてくれていましたが、少しすると私が担当しました。釘で打ち付けるというのも、今思うと随分と乱暴なことでしたが、うちのやり方だったのです。柱には毎年の釘の穴が開いていて、それを上手に避けるのも大切なことでした。
そのもみの木に丸い玉(ガラス)やモールと電飾を飾るという、とてもシンプルで地味なものでしたが、ワクワク感はとてもありました。石油ストーブやこたつ用の練炭の匂いがして、冬の寒さの中で、とても温もりを感じる楽しみでした。
一度、少し大きめなケーキを買ったことがあって、兄弟姉妹と叔母を合わせて九人いたので、どのように切るかをみんなで意見を出し合って、結局十個に切ることになりました。そして、その担当を下の弟だった私が仰せつかったのです。その時、長兄が一言、「好きなように切っていいよ。お前が最後に取るのだから…。」と。私は真剣にケーキを見つめて、半分に切り、次に2:3を頭に浮かべて切り、後を二つと三つに切りました。当然、大小さまざまな大きさになりまして、上から順番に大きいのを取られましたが、さすがに親たちは後に取ってくれたので、「最小」を取らなくて済みました。でも、その時、「ただ同じ大きさに切ってもダメなのだ。」ということを学びました。上に載っている魅力的な砂糖菓子やゼリーなども考慮に入れないと。トータルにものの価値を瞬時に判断して、絶妙な大きさに切ることの大切さを学びました。それは「同じ」ということと、「公平」であることは、違うということを学んだ体験でした。

冬ソナで、チュンサンを待つユジンの姿が切なくて忘れられません。アドベントは「待降節」と言って、「救い主の誕生を待つ」ことです。そして、クリスマスに待つ人が来なかったら…。

「救い主は既に来られています」。良いクリスマスをお迎えください。


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