キリスト教の死生観

湊さんの墓参りに行きました。湊さんのお友達にご案内頂きました。私たちの教会は七條基督教会のご厚意によって、教会墓地に合祀させて頂いています。とてもわかりにくい場所なので、ご案内頂いてようやくたどり着けました。昨日はとても暑い日で、午後二時頃に着いたので、とても暑く、熱中症を心配していましたが、お墓のまわりはとても涼しく、静かで、ついつい長居してしまいました。
キリスト教の死生観は日本人の死生観とは違うのだと思います。私も子どもの頃、仏式や神式の葬儀に出ましたが、基本的な感覚は「穢れ」の思想のように思いました。家に帰ると塩できよめることをします。なぜ、一緒に生活をしていた人が死んだら、いきなり「穢れた者」になるのでしょう。
キリスト教では、召された人は「天国に行きます」。そして、私たちも天国に行きます。天と地に分かれていても、一つ家族です。肉体的には死んでも、霊的には生きています。そして、信仰的には側にいてくれます。
私は大学生の時に、父が枕元に座り、「姉を助けてほしい」と言われ、姉を訪ねました。実際姉は困難の中にいて、それを助けることが出来ました。
牧師になってからも、ある姉妹が召されたことを伝えに来て、喪中の葉書を見せてくれました。年末で、年賀状の話をしていた妻に「喪中の葉書が来ていたから、出さないで」と言いましたが、妻は怪訝な顔をしていました。それから、しばらくした時に喪中の葉書が届きました。私が見せて頂いたものと同じものでした。
墓場というと何かコワいイメージもあるかも知れませんが、今回行って、天国(あの世)とつながる道の入り口(門)のように感じました。
ハリーポッターの最後の時、ボルデモートとの決戦の前に両親やシリュウスや友人などが出て来て励まします。
私も私のまわりに召された人たちが側にいてくれるように感じていますし、神様の懐で、私たちのために祈りを直接伝えてくださっているように思います。
彼らは「聖人」です。「きよい」人達です。私たちに害をもたらすことなどありません。むしろ、私たちを助け続けてくださっています。
湊さんありがとうございます。

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