平和の祭典?

ウクライナの選手がロシア選手との握手を拒否して、失格となった。
国際連合(国際社会)で、ロシアは失格とはならないのだろうか?
オリンピックはヘレニズム社会で、同じゼウスを信仰する者たちの神へ献げる祭典だった。共通する神への信仰があればこそ、「聖なる休戦」もあり得たのだろう。日本の相撲と似ている(ほぼ裸であることも)。
ウクライナとロシアは元々「ロシア正教会」を信仰していて、同じ信仰を持つ、兄弟姉妹であり、家族だったはずが、こんな戦争になっている。ロシアが兄の立場であるなら、ウクライナは弟の立場だ。兄が弟を殺すというのは、聖書の創世記に出で来る「カインとアベル」の人類初の殺人事件を思わせる。
カインとアベルは神様に献げ物をするが、カインのものは拒否され、アベルのものは認められ、アベルは祝福された。嫉妬に狂ったカインがアベルを殺した。
ロシアはウクライナの何が気に喰わなくて、戦争を始めたのだろう。欧米と仲良くするウクライナが気に入らなかったのだろうか。
一方的に戦争を仕掛けられて、家族や友人や同国民を殺されたウクライナ人がロシアの選手と握手をするというのは、無理なことだったのだろう。
このことを聞いて、「平和」をつくることの難しさを改めて思い知らされる。
イエス様は、「平和をつくる者は神の子と呼ばれる」とおっしゃられた。簡単にできることでないことを意味している。それでも、平和を求め続け、実現したいと祈り続けたい。

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