気配り?

この「気くばりのすすめ」は学生の頃にベストセラーになっていて、話題になっていたし、何かにつけて、「気くばりが大切だ」と言われたように思った。
私はこの気くばりが嫌いだった。なぜかと言えば、気くばりを要求されると、「言いたいことも言えなくなる」からだ。その頃からか、「言葉遣い」などの「礼儀作法」のような本もたくさん出て来た。
日本人の大好きな儒教「四書五経」に「礼」がある。「礼が大切だ」と教える。
言葉遣いもその中に含まれるだろう。その根本は「上下関係を大切にする」ということで、「上下があることを知れ!」ということが一番肝心なことになる。
「気くばり」だろろうと、「礼儀作法」だろうと、「言葉(敬語)遣い」だろうと、結局はこの「上下関係」を意識して、ということが「教えの中心」だ。
だから、「儒教=封建社会」と言う人も多い。
戦後の日本は「平等な社会」のはずなのに、なぜかこうした教えを真綿で包んで強要される。
最近の「忖度」は言葉を変えただけの「上下関係を意識しろ」ということになる。「マウントの取り合い」が問題になるのは、もう上下関係はないはずなのに、この上下関係を強いてくる者がいるからだろう。
「もののけ姫」に、浅野の殿様からの使者に向かって、「こっちは生まれた時からずーっと、無礼だい べー!」という言葉を聞くと胸がすっとする。
『上の者』に何か言おうとしたら、失礼でなければ言えない。それが、儒教の教えだ。昔の武士は殿様に何かを言う(諫言する)時には「隠し腹を切って」いたと聞いた。つまり、命がけでなければ、言えない。
韓ドラを見ている時の「息苦しさ」はこれだろう。今でも儒教の国のようだから。
戦後の日本の憲法の素晴らしさは「言論の自由」だ。それなのに、「気くばり」「礼儀作法」「言葉遣い」「忖度」等など、やっていたら、何も言えない。こういうものが流行ると、「忖度が好き」で、誰かの「腰巾着」か「太鼓持ち」をして、「ゴマをすって」出世しなければならない。そして、実際今の社会はそれを当たり前に要求しているように見える。当時は「接待ゴルフ」が盛んだったかな。
「○○ハラ」と呼ばれているもののほとんどが、「上下関係=(弱肉強食)」から生じている。
日本はまだ「封建社会」なのだろう。
言論の自由は、「討論・議論(弁証法)」を生み、進歩と発展が望まれる。上の顔色を見ていては、この国は、世界に置いてきぼりにされる。

コメント

PAGE TOP
タイトルとURLをコピーしました