この呪いは、誰が取り立てる?

「鬼滅の刃」には、壮絶な話がたくさん出て来る。この遊郭篇の中の、『妓夫太郎』と『堕姫』の話もその一つだろう。
場面は「遊郭吉原」である。そこで生まれ育った兄妹の話は悲しすぎる。
遊郭に対して現代の人はどのような印象があるのだろうか。
私たちの世代は子どもの頃から、時代劇には必ず出て来るような話で、吉原だけではなく、日本全国に遊郭や廓や売春宿などがあって、花街とか呼ばれて、売買春を商売として来た。貧乏な家庭で、女の子どもを売るということが膨大な数で行われていた。売られた子どもの人生や人権など誰も考えていない。時代劇には、「自らを売る子ども」を「親孝行者」とさえ表現していた。そこに買いに行くことも、そこにいる人たちを養っていることとして、評価される。
狂っている。

現代の「民主政治」と呼ばれる世界になるまでは、「身分制度」があることが正しい社会であると信じていた。そして、それを守り、その秩序を堅持することが「正義」であるとされて来た。
これらが、間違いだったのだ。なのに、まだそんな世界を作りたいと思っている者たちがいる。

『国民主権』『基本的人権の尊重』『平和主義』、日本国憲法の三大原則である。何の問題もない。
すべての人が等しく幸せを享受できる世界こそが、創造主の願うものだった。
しかし、人は「富の偏り」「権力の偏り」「権利の偏り」「争い好き」「人を見下し」「人を馬鹿にし」「自分が何もかも支配し、独占し、やりたい放題」をする。
こうして、苦しめられた人たちの思い、悲しみ、痛みを誰がおさめてくれるのか。
そんなことをした者たちが、永遠に幸せであるはずがない。
人は自分でしたことのすべての精算をしなければならない。その国、その時代、その文化がどんなに偏っていても、決して偏ることのない唯一の創造主である神の前で。

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