
聖書やキリスト教の中にも、「男尊女卑」が見逃されて来ていると思う。しかし、そのイメージを見逃して来たことが、今も教会の間違いであり、問題だと思う。
天地創造の経緯をよく考えてみれば、自ずと明白なことだろう。
神は六日間で天地を創造したと聖書の冒頭に出て来る。
第一日目:光の創造 昼と夜
第二日目:大空の創造
第三日目:海と大地と植物の創造
第四日目:太陽と月と星の創造
第五日目:海(水)の生き物と空の生き物(鳥)の創造
第六日目:地の生き物の創造と人(男女)の創造
第七日目:お休みの日
そして、さらに人の創造について、詳しい説明がある。
まず人は「神のかたち」に創造され、すべてを「支配」するように定められている。
そして、人は先に男が創造され、その「助け手」として、女が創造されている。その際にまず造られた動物の中から「助け手」を選ばせるが、「ふさわしい」ものがいなくて、女を創ることになったと説明されている。
そして、女は男のあばら骨から創られた。それに対して、アダムの告白は「これこそ、ついに私の骨からの骨、私の肉からの肉。」であり、これは同等以上の敬意を表したものと思われる。
六日間というのは、譬えとしての表現であって、こんにちの一日として六日間というのは、無理筋過ぎるし、第一日目をビックバンとしても、太陽や月や星々の前に海や大地を創造しているというのは、理性的に考えて、順序が逆である。
ただ、理解できることとして、人の創造が特別なもの(『神のかたち』、霊長類の長)として、描かれていて、人の創造に必要なものが先に準備されたという順序を読み取る必要がある。
つまり、後に創造されたものほど、神の目的だったことを意味する。
これで皆さまにも、私のお話ししたいことにお気づき頂けたのではと思います。つまり、一番最後に創造されたのは、「女」だったということです。
神様は女を創造するために、男を創造したと考えられます。もちろんどちらか一方だけでは、子孫を残すことはできませんから、最初から神様は男女を創造するはずだったと思います。それではなぜ、動物の中から「助け手」を探させたのでしょうか。それは単に動物の中には「ふさわしい助け手はいない」ということをしっかりと確認するためだったと考えるべきだと思います。
そう考えると、サタンがエバを誘惑した理由は、「神の最高傑作である女を穢すため」だったと考えられます。トップを押さえることによってそのすべての組織を押さえることができる。つまり、サタンは女を支配下に置くことで、男を支配することができる。そして、人類もその支配下にあるすべての創造物も支配下に置くことができるということです。
ここからは、少し飛躍しているかも知れませんが。
だから、男は女を支配することで、すべての支配権を手に入れようと考えたのだろうと思いますが、それが世界を歪める「男尊女卑」的誤謬になったのだと思います。
正しい判断は、神様の定めた秩序に戻すということだと考えれば、「男が女の支配下に入ること」が正しい秩序ということになります。
女性が男性よりも優れていると考えるべき点は、「身をもって子を産み、育てること」だと思います。
アダム以外の人類はすべて「女から」生まれていて、イエス様ご自身も「女から」生まれたのです。しかも、男の介入なしで。
まもなくクリスマスですね。クリスマスが平和なイメージなのは、「イエス様の出産の日」だと思います。
女性が安心して、子どもを生むこと、そして、それを大切に育てること、そうした様子はまさに『平和の象徴』ではないでしょうか。もちろん男性が傍にいることは大切です。それを守るために男は創られたと考えることができます。
私の母は、「戦争が終わって、本当に良かった。子どもを兵隊に取られることがないから。」と何度も話してくれました。「戦争を始める男と、戦争を止めたい女」というイメージが私の中にはあります。
神様が「女性を創造してくださったこと」、そして、その目的は「平和な世界の創造であったこと」を心から感謝したく思います。
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