那谷蜘蛛山 累

 鬼滅の刃の話は全体に悲しい。何が正しいのかわからなくなるような話がたくさん出て来る。
 この「那谷蜘蛛山」の話にしても、主人公(?)の累は生まれつき病気で、死にかけているところを鬼舞辻無惨によって、鬼にしてもらうことで、人を食べることでほぼ永遠に生きていくことができる。ただ、昼間は太陽に当たると死んでしまうので、薄暗いところで生きて行くしかない。
 鬼になった累の両親は、人殺しになった自分の息子を殺そうとするが逆に殺されてしまう。そのことにより、親子の絆が切れたことがモチーフなのか、蜘蛛のような属性を持つ鬼となり、蜘蛛の糸で人を操るようになる。
 こうして言葉に直すと難しい問題を突きつけられているように思うが、病弱に生まれた人が、人を食べて生きながられえることは罪なのかと問われているように思う。
 第二次大戦に行った人から聞いたことは、戦場で食べ物に困った時に死体を食べたということだった。神学生の時、「生きてこそ」という映画を見た。雪山に墜落した飛行機の生存者が生きるために、死体を食べるというものだった。
 また、鬼滅の刃には珠世さんという鬼の医者が出て来る。輸血ということで血を買って飲むということで、人を殺して食べないでも生きたいけるようにした鬼だった。
 以前に、エホバの証人の輸血拒否問題が話題になったことがあった。私の感覚では、輸血は「血を飲む」という行為とは違うと思うが、この珠世さんは血を飲んでいる。
 よく例え話として、「この世は弱肉強食だ」と言う。でも、本当に人間同士でも「弱肉強食」をしているのではないかと思えることはある。
 生きるために、「人を喰う」。生きるために「人の食べ物を奪って食べる」。生きるために「人の仕事を奪って自分が生きる」。生きるために「人の生活を奪って自分が生きる」。生きるために「人の人生を奪って生きる」。生きるために「人の命を奪う」。
 私たちはどこまでが許されているのだろうか。

コメント

PAGE TOP
タイトルとURLをコピーしました