
聖書というと何か『聖なるもの』として、お堅いイメージがあるのではないでしょうか。でも、聖書の中にはたくさんのラブコメ(ラブストーリー)が描かれているのです。
そもそも神様がアダムとエバを造ってくださったことから、人類の歴史が始まっているというのは、愛し合うことによって、人類史が成立することを意味しているのだと思います。
アダムとエバ、アブラハムとサラ、イサクとリベカ、ヤコブとラケル、モーセとチッポラ。ルツの物語やエステルのお話、ダビデとバテシェバ、そして、マリアとヨセフ。聖書の中には、たくさんのラブストーリーが描かれています。
聖書の『聖』の意味は、『きよい』という意味を持っていますが、では『きよい』とはどういう意味なのかと考えると『愛』という意味なのだとわかります。「『正しく愛する』ということとはどういうことなのか?」ということが聖書のテーマです。
そして、聖書を読んでいて感じることは、「神様の片思い」ということです。
神様は『人』を心底愛していてくださるのに、「人はそれに気が付かない!」という感じです。
思春期の子どもが、親の愛を鬱陶しく感じるのと似ているかも知れません。強く愛されることによって、それを重く感じることもあるかも知れません。「重い女」とか「束縛の強い男」とか言う言葉もあるように、愛は時には面倒くさく感じることもあるかも知れませんし、間違えた愛は狂気になることもあります。
でも、ひたむきで、純粋な愛によって愛されていることに気が付くと、人は恋に落ちるのではないでしょうか。
そんな「神様の愛」に気が付くことができると、とても大きな愛に包まれていることがわかると思います。
ただ、『愛』は『信じる』ことでしか、わからないものだから…。


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