
今日は『国際女性デー』なのだそうです。
女性差別を取り除きたいということなのでしょう。その一方で男性差別というものはあるのでしょうか。
どうして、女性差別が存在するようになったのかを考えるのも、答えを見つけるのも難しいことのように思います。だから、対処療法的に、「あれはダメ、これはダメ」的になると一貫性を見失ってしまうことになるのだと思います。
私は、原因の一つに戦争があると思います。戦場で戦士として戦う兵士のほとんどが男性だと思います。最近のアニメでは女性が冒険者や勇者や剣士として、圧倒的に強い姿で描かれています。映画の中にも「女戦士」は描かれます。
しかし、現実的に戦場に立つ「女兵士」というのは存在しているのでしょうか。後方支援ではなく。
戦闘機のパイロットになったり、歩兵ではなく、上級の下士官とかの命令を出したり、戦術を立てたりの方にはありだと思います。
戦争がない時代では、男女平等は話しやすいけれども戦時下にあっては、とても危うくなる。
今、オリンピック・パラリンピックをしているけれども、「男女は峻別」されている。遺伝子レベルまで調べられる。そして、男女は決して同じ土俵には立たない。
こうした中で、男女平等は語られなければならない。男女の性差を正しく理解した上で、「平等とは何か」を議論しなければならない。
そうした時に一番難しいのが、「女らしさ」だと思う。しかも女性自身でも、「女らしさ」の基準は違う。社会が求める女らしさ、家庭で求められる女らしさ、学校で求められる女らしさ、会社で求められる女らしさ、オリンピックで求められる女らしさ、ファッションモデルとして求められる女らしさ、アイドルとして求められる女らしさ、兵士として求められる女らしさ、医者として求められる女らしさ…。たぶん、際限なく、無限に存在する女らしさが、時代や国や地域や大きな、小さな社会で様々にある。そして、これらが、手かせ足かせとなり、『呪い』となっている。
「男女平等」という言葉自体がすでに男と女を区別している。「人間平等」とは言わない。そういうとまた別物になりそうだ。
男と女は全くの別物として、男と女は「同一扱い」ではなく、「平等」が求められる。
「女はこうあるべき」という時、即「男はこうあるべき」が問われる。
高校の時、男子にはコートがなかった。その時に「男も寒い」と言っていた。
私は、女性は「神様の最高傑作」だと思っている。だから、男性は女性を幸せにするために存在していると思っている。それは、同時に男性は「神様の最高傑作」であり、女性は男性を幸せにするために存在しているという意味だと思う。
きっと、こうした価値観を打ち砕いてしまうのが、戦争だと思う。「愛する人を守るために、誰かに愛されている人を殺さなければならない」という、矛盾の塊が戦争なのだと思う。その戦争を始めるのが、男性に見えるのは偏見でしょうか。
「女性が笑顔で元気な村は、幸せな村だと思う」ということをどこかで聞いたことがあるけれど、やはりそう思う。


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