朝日新聞の昨日の記事から

 少子化の時代に小中高生が自殺をするというのは、一体どういうことなのだろうか。現代は私が子どものころに比べると「豊かで、自由な」感じがしているけれど、本当は違うのではないかと考えてしまう。
 今の子どもたちは本当は息苦しい中をみんな頑張って生きているのではないだろうか。
 私が子どもの頃には、「不登校」なんて言葉は無かった。みんなどんなにツラくても、苦しくても、学校には行かなければならなかった。いじめられても、成績が悪くても、勉強が嫌いでも、学校に行かないという選択肢は無かった。
 中学校の先生をしていた時に、時々耳にする言葉は「どうせ他人(ヒト)の子」だった。不謹慎極まりない言葉だけれど、そう思わなければ、まともな精神を持って教師を続けることはできないような時代だった。校内暴力、非行、学級・学校崩壊等々。
 今の時代は、「子ども中心」と言った感じだけれど、それが逆に不登校の子どもを学校に戻すという必要はなくなっているように思う。「不登校も個性の一つ」ということにすれば、学校に無理に連れて来る必要もない。勉強をしないのも、本人の意志ということで、尊重する。
 しかし、実態は「面倒な子どもは切り捨て御免」ということになっていないだろうか。
 学校の先生をしていると、手間のかかる子がいる。その子一人に他の子の何十倍も手がかかり、労働時間も精神的なストレスも大幅に増える。いっそ来なければいいのにと思う。それでも、みんな真面目に学校に来る。理解できていないような授業に、何時間も黙って、ジッと座っている様子は、さながら、どこぞの宗教の修行僧のようにさえ見えた。
 でも、問題は、そんな子どもたちの心の問題は何一つ、取り上げられることもなく、無視され、なかったことのように処理されて、「何か問題でも?」という顔をされることだろう。
 「精神疾患」とか「うつ」とか言うのをもうやめてほしいように思う。こんなものは病気でも、原因でもない。それらは単なる症状でしかない。根本的な原因は、社会にあり、家庭環境にあり、人間関係にあり、学校のあり方そのものにあるのではないだろうか。
 ただ、悲しい。小中高生が自殺する様子を思い浮かべると堪らなく苦しくなる。こんな幼い子たちが「自殺」を選ぶということが、絶望的に悲しい。
 自分で自分のいのちを絶つという現実をその子たちはどうやって選んだのかと思うと、心が締め付けられそうになる。
 あなたたちには、素晴らしい未来もあったのだろうに。

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