教育勅語

 広島市長が十五年続けて来た職員研修での教育勅語の引用をやめると、ニュースにあった。「教育勅語」という言葉を久しぶりに聞いた気がする。
 わたしも教育学部出身なので、学生時代には「教育勅語」に関する議論を先輩たちとした覚えがあるが、日本国憲法と相容れないということで廃止になったものなので、それを用いるというのはやはりどうかと思う。自分の言葉で話せばいいのではないだろうか。
 「お父さんお母さんを大切にして、兄弟姉妹と仲良くし、夫婦で愛し合い…」ではダメなのだろうか。
 広島という場所は微妙である。被爆地としてどのように国と向き合うかが何となくいつも根元にある。いち早くポツダム宣言を受諾してくれていれば、原爆投下は防げた。政府の判断の遅さは残念過ぎた。そして、「平和」を掲げるとどうしても保守派の人たちとぶつかりそうになる。だから、苦肉の策として「教育勅語」を持ってきたように見える。
 浅野藩だった頃、赤穂の浅野で事件が起こる。討ち入りに加担すれば藩はお取り潰しになる。幕府の顔色を窺って、見て見ぬフリをした。
 第五師団という日本最強を自負していた師団が市民と共に、一発の原爆で灰燼と帰した。その痛みと悲しみをどう理解、昇華していいのかわからない。

 私の叔父もそこにいた。彼らの忠誠心を疑う気持ちは微塵もない。だからと言って、第二次世界大戦における日本の立場を正当化することはできない。
 被害国と被害者はいる。たとえ、その人たちが全員亡くなったとしても、日本が行った戦争を無かったことにはできない。
 教育勅語自体に戦争を啓発するものは少ないのかも知れない。しかし、戦前を思い出させるのである。それが苦しい。
 私の父とその兄弟は、教育勅語から名前をもらっていた。長男は『肇』、次男は『徳』、三男の父は『修』だった。戦後中学校の英語教師をしていた父には『学ヲ修メ』という言葉はあっていたのかも知れないが、『修身』がなくなって『道徳』になったのは、『修』は消えるべきものと思っていたように感じた。

コメント

PAGE TOP
タイトルとURLをコピーしました